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どうして子どもを望んだの?/インナーチャイルド

結婚してから、おめでとうの二言目には言われる言葉。

「子どもは?」

時代は令和にもなり、子どもについては簡単に聞いてはいけない、という価値観が世の中に浸透していると勝手に思っていた。
でもそうじゃなかった。
聞いてくる人は様々だが、自分から歳の離れている人に聞かれることが多いと感じる。

ここからは私個人の感じたことになるが、
年下の場合は、結婚出産というまだ輪郭がぼんやりしているものに対しての興味関心からくる言葉が多いように思う。
年上の場合、自分の家庭があり、子を持っている人は当たり前のように聞いてくる。
「産むなら早い方がいいよ」「産んでみたら案外なんとかなるよ」「旦那はなんて言ってるの?」「両親もきっと楽しみにしてるよ」など。
独身や、シングルの人はあまり聞いてこない。

まぁでも正直、デリカシーがないなと思った。
「子どもできるまでは新婚だよ」なんて言う人までいた。
そんな人たちに、デリカシーのなさで対抗して聞けばよかったと思うこと。

「どうして子どもを望んだの?」

正直な話、今の私は子どもを望んでいない。
子どもを望む気持ちが分からない。
夫はというと、結婚について話した際に、子どもについても話したが
「まぁいつかは…」みたいなありがちな感じであった。
でも今の生活ぶりを見るに、あまり子どもを望んでいるようには見えない。

私は勝手に決意していることがある。
次の結婚記念日に夫と子どもについて話をする。

そのために、自分の気持ちを深掘りしたいがために今これを書こうと思った。
長くなりそうだけど、しっかり書き切ろうと思う。


自分の子ども時代のこと。

両親は健在、妹が一人いる。
私は昔から家庭で過ごすことにしっくり来ていなかった。
妹を甘やかす母が嫌だった。
妹が食事の時に「箸」「お茶」といえば甲斐甲斐しく持ってくる母を見るのが嫌だった。
「自分で持ってこいよ」など私が言おうものなら、幼い頃は癇癪を起こし、思春期になれば「は?きも」など口答えしてくる環境だった。
そんな風景を見て何も言わない父も嫌だった。
でも、当時は引きこもりだったので、家にずっといた。
この頃から、どこか安心して過ごせる場所が欲しいとずっと思っていたんだと思う。

高校生になり、自分でお金を稼げるようになってからは、携帯代は自分で支払うように言われた。お小遣いも貰えなくなった。
そして家に居ても不快なので、当然、帰らなくなった。
引きこもりから鉄砲玉(打ったら帰ってこない)に華麗な転身である。
安心して過ごせる場所を探していたんだなと、今になって思う。

妹のお金事情も同じだろうと思っていたら、大学生になっても携帯代は親持ちで、お小遣いも貰っているのを後になってから知った。
ものすごくショックだった。
当時、専門学校の学費のために奨学金の説明会へ行けと言われていたので、私はブチギレた。
母に言われてから私は自分のバイト代から家にお金を入れていたので、余計許せなかった。
あまりのブチギレ&涙に母も何か思ったのか、学費は親が支払うことになった。
感謝こそすれど、私の心には傷が残った。
このことを知らなかったら、私は奨学金を借りていただろう。
そしてもっと後になって、妹のお金のことを知ったら、どうなっていたんだろう。
たまにそんなことを考えたりしてしまう。

ちなみに、父はたびたび単身赴任をしており、家に入れるお金は母に渡していた。
ひょんなことで父と二人で話していた時にその話をしたら、私が家にお金を入れていることを父は知らなかった。
そして、今後は家にお金を入れなくていいと言われた。
生活のためのお金は父から母に渡していることと、
ある時から、母がクレジットカードを勝手に使えないようにした、ということを教えられた。
よく、家にハガキが届いていたなとその時気がついた。
スーパー、デパート、そのほかよくわからないカード会社のもの。
それ以外、父はバツが悪そうな顔をして多くを語らなかった。
私が事を理解するには十分すぎる情報だった。
母も働いていた。本当かは知らないが私より給料が低いとよくこぼしてた。
母が買う服、本、酒、化粧品、たばこ。
どこから金が出ていた?
確かめていないけど、きっと、私が家に入れていたお金も使っていた。
生活のためにお金を入れているつもりだったが、そうじゃなかった。
父に言われたからもうお金は渡さないと母に伝えた時、ゴネにゴネられたが、頑として無視した。何にお金を使っていたかも聞かなかった。
また私の心に傷が残った。


今の気持ちとインナーチャイルド。

あのころの傷が、まだ癒えていない。

ここに書いた以外にも、あの時私は家族によって傷つけられていたんだ、と理解してしまったことがたくさんある。
家を出てから、家族と会うたびになんだかよくわからないモヤモヤした気持ちを抱えていた。
家族の前で笑っている自分に違和感があった。
でも、なんか取り戻したくて、昔のことなんか忘れたように、親と夫と出かけたりした。妹とも会った。夫から見たら仲のいい家族に見えているかもしれない。
その時はあの頃なかったものを取り戻しているようで嬉しくなっていたが、後からなんだかムカムカしてくる。情緒が乱れる。
私はあの頃のことを忘れていないんだ。許せていないんだ。
なんで今になって取り戻そうとしているの?
なんで必死で誤魔化しているんだろう。
誰のために?自分はこんなに嫌な気持ちになっているのに。
親を安心させるため?あんなに酷い扱いを受けて、その後のケアもないのに?
時間が過ぎただけで許して忘れられる気持ちなの?
あの頃、私が大切な人間なんだと分かるような家族でいてほしかった。
今更取り戻すことなんでできない。
そんな気持ちが、家族と会うたびにグルグル頭の中を回る。
今でも辛い。

「アダルトチルドレン」「インナーチャイルド」という言葉を知って、私の苦しみはこれなんだと理解した。
あの時傷ついた私は確かに今も私の中にいて、何か不意に琴線に触れると顔を出してくるのだ。それも泣きながら。
それを自分で癒していくのだと、最近になって知った。

今、正社員として働き、自分でお金を出して家を借りている。
かなりアバウトな感じではあるが、夫と支払いは折半だ。
食べるもの、家具、服、余暇、全てが自分の思い通り。
毎日ここに帰ってきていい、自分の好きに過ごしていい、話をしたければ聞いてくれる同居人がいる。

やっと、手に入れた。

子どもの頃、思春期、大人になってからも、どこかここではない、安心できるところで過ごしたいと思っていた鬱屈とした気持ちが晴れていっている。
傷が少しずつ癒やされている。
そう感じる。

でも、こう思えるまで30年以上生きてきた。
長かった。正体のわからないモヤモヤに、ずっと苦しかった。
だから、もうこの安心した気持ちのまま、ずっと過ごしたい。
自分と、心地よく過ごせる人たちと生きていきたい。
やっと手に入れたこの生活を手放したくない。
そういうふうに思ってはいけないのだろうか?

子どもを持つことは、マイナスばかりではない。それはわかる。
今はまだ周りの友人たちの子どもは小さく、手がかかっている。
みんな、子育て大変だよ〜!なんて、ヒィヒィ言っている。
でも、子どもの成長によって、親の人生を豊かにしてくれることがたくさんあるんだと思う。
周りの子どもが中学生、高校生、大学生、そして大人になった時、私がいま見ている景色とは違うものが見えるんだろうな、違う感情が芽生えるんだろうな、と言う予感がしている。

でも、いま子どもが欲しいとは思えない。

ゆっくり考えるような年齢ではない。
この先このまま少しずつ傷が癒やされて、気持ちにも変化が起きるかもしれない。
そんな不確かなことしか言えない。
でも、ひとつ言えること。

私はいま、この生活が幸せだと感じている。

この気持ちを伝えて、夫はなんて言うだろうか。
いまの幸せな生活が終わってしまう可能性だってある。
でも、伝えよう。話をしよう。
私の独りよがりだけで生きていきたいわけでないから。


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