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多様性とは常識が失くなること

多様性を受け入れよう、認めようという言葉が最近顕著。

言葉受けはいいですよね、トレンドといえばいいのか。

多様性を受け入れるってことは、今まで常識と思っていたことが常識ではなくなっていくってことなの、皆気づいているのでしょうか。

例えば遅刻しないだとか挨拶しろだとか。
必ずしも定時通りに出社しなくても、期限までに仕事終わらせればいいでしょ、となったりだとか。

相手が日本人だけではなくて外国人まで受け入れるとなるとますます日本での常識は外国人では常識ではなくなってくる。

だいぶ前に某シェフの経営するレストランで水を有料で出したら猛批判受けたけれど、あれ、EU圏では常識だったりする。
水道水ではなくて例えば市販されている水を出しただとか、そこのレストランで浄水して純粋水だったりしたらお金払うのはありだったのかもしれない。
現に私の子供のころは水なんてスーパーでは売ってなかった。
今は売っているのが常識。

今、アルバイトに5分前行動なんて言えない。

今から25年くらい前に某インドカレー店でアルバイトしていたことがあったけど、店長は日本人だったけど経営者はインド人だったかな?

で、働いている人は日本人、ネパール人、中国人もいたかな。

ラストオーダー。
店長は日本人だから当然、5分くらい前にラストオーダーを聞きに行かされる。
で、お客さまによってはチンタラしている人がいて、ラストオーダーを厨房に伝えるのにラストオーダーを受ける時間が過ぎていると、厨房の人はものすごく文句を言っていた。(言っていることはわからなかったがタイムがどうのこうの言ってたので、時間過ぎているって言ってたのだと思う)

別の日では、お出ししたサフランライスにサフランの葉が入っているとクレームがお客様側からあって、それを厨房の人に言ったら
「それ、サフランの葉だから」
と、なんの問題もない、という対応。
日本では取り除くのが当たり前だろうが、現地では問題ないのだ。

そういえば、向こうではグラスに注いだワインにコルクのカスが入っていたとしてもなんの問題もない、ということを聞いたことがある。

日本の〇〇は常識だろというのが逆に通じなくなるのだ。それが多様化。

どこだかの神社で鈴を激しく鳴らした人が批判されていたけれど、鳴らせるように設置してあるものを鳴らしたら怒られたってどういうこと?とあちらは思っているかもしれない。

ほとんどの外国人観光客が日本をリスペクトして来ていただいているのだろうが、そんな人たちばかりではないことは我が身をふりかえってみればわかるだろう。

例えば安いとかお得だとか、流行っているからだとか、付き合いでだとか。
人間本質はさほど変わらない。

最後にひ〇ゆき氏が動画でこんなこと言ってた
「日本ではあちらの条件をここまで呑んだのだから、こちらの条件のここは呑んでくれ」のような話は半ば常識のようになっているが、そうではない国もある。あくまでもあちらの条件とこちらの条件は別々のことであって、向こうの条件をここまで呑んだのだからこちらの条件のここは呑んでくれるだろうと思うのは大間違い、それは通用しない。むこうの条件を呑んでしまったらそれで終わり」

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