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会社員に終止符を打った後に映った世界



風向きが変わるとき

 2022年6月、会社で天地が引っくり返るような内容が発表された。
 なんと、50年以上の歴史をもつ工場が工場再編、いわゆる遠方に移転し合併されるとのことだ。不況の煽りを受け、工場再編(他工場との合併)を行う企業は数多くある。パンデミックの影響もあり、我社も赤字傾向が続いていた。いつかこのようなことが起こってもおかしくはないと不安もあった。
 しかし、その一方で、今まで赤字の時期はあっても盛りかえすことは多かったのだから、どうにかなるだろうという楽観的な気持ちも持っていたのである。
 安心感のあった会社員という居場所は崩れ去ろうとしていた。
 身の振り方を考えさせられる現実に向き合わなければならない。

人生の選択


 工場再編により、100名弱の従業員達は、2つの選択を迫られることになる。


  1. 地方に異動して、引き続き社員の椅子を維持すること

  2. 異動を拒否する場合は退職

それぞれにメリット、デメリットがあり、数日間、悩む日々が続く。

○地方移転のメリット

  • 家賃補助の恩恵を受けることが出来る。

  • 福利厚生が充実しており、生活面が安定する



●地方移転のデメリット

  • 運転免許を取得していないため、通勤、外出が非常に不便(近くに店がなく、交通が便利ではない田舎)

  • 過ごしやすい気候ではない。雪国であり冬場は苦労する

○退職のメリット

  • 住み慣れた土地で暮らせる

  • 日常生活に不自由することはない



●退職のデメリット

  • 中高年であるため、職探しに苦労する。

 悩みに悩み抜いて出した結果、退職することを選択する。
 とにかく、住み慣れた土地を離れることの方が抵抗があったのだ。充分な収入は得られなくなるが、慣れない土地で不自由に暮らすより、勝手の分かる地元で仕事を探す方が良いと考えたのである。自分は、転勤族には適していないのだと思う。
 
 意外にも、移転を決意した従業員は半数を越えたのだ。 
 

  • 退職すると、同条件の待遇は得られない

  • 新しい仕事を一から始めるのが辛い

  • 一家を養わなければならないので安定した収入が必要

 上記のような理由で異動を決心したそうだ。もし、退職者が大半であれば、工場再編の計画も中止になるのではないかと僅かな期待もあった。しかし、見事に希望は打ち砕かれてしまったのである。

退職までの有給消化期間

 工場再編の発表から10ヶ月後、退職前の有給消化期間を過ごす。正式には2ヶ月間は社員の席が在るわけだが、任務が終了したので状況的に退職したようなものだ。高校卒業後、32年間も勤めあげてきたので歴史が深く、感慨深い。
 有給期間に入った翌日はほぼ爆睡状態だった。今までのように早起きしなくていいので、気が緩み疲れが一気に押し寄せてきただろう。数週間ほどは、外出やTV鑑賞を満喫した。ノルマに追われることなく、のんびりと好きな時間を過ごすのはなんと心地好いのだろう。
 しかし、そんな快適さも疑問に感じ始めることになる。虚無感と焦燥感が次第に膨れ上がってきたのだ。
 生活費や将来の不安
 メリハリのない日々に感じる時間の長さ
 仕事をしない罪悪感
 再就職先の問題
 「仕事がないのはかえって辛い」
と言う言葉を耳にしたことがあるが、正に、自分がこの状態なのだ。
 正社員の座に居座っていたときは、不平不満ばかりを漏らすことが多い日々だった。理不尽な苦労も多々あり、会社員という社畜から解放されたいと何度思ったことだろう。いざ、会社の外に出てみると、足元が覚束なく、様々な葛藤に苛まれる。会社は窮屈な場所であったものの、足元が安定した大地のようなものだったのだ。改めて、会社員でいるということの有り難みを痛感されられた。
 
 ちなみに、工場再編の知らせを受ける前、『労働の歴史を振り返って』(投稿企画 働いて笑顔になれた瞬間)という記事を投稿していた。「不満だらけの毎日だったが、ようやく仕事にポジティブな気持ちが芽生え始めてきた」という内容が述べられている。このような記事を投稿して、しばらくたった後、会社と決別することになってしまった。運命の皮肉さに苦笑するしかない。

 幸い、会社側で就職斡旋会社の紹介と手続きをして頂いていた。何度かの面談があったあと、応募、面接を経て再就職先が決定。高校卒業後、初めての転職だ。不安も多々あったが、とりあえず、生活面は安定するだろう。

苦悩と挫折


 有給期間が終わると同時に、清掃業務を行う会社に就職した。そのため無職期間はなかったと言うことになる。タイミング良く再就職できたのだ。
 しかし、前向きな気持ちでいたのはわずか数日間。問題点が多々あり、情けないことに1ヶ月ほどで離職してしまうこととなるのだ。
 軍隊のような厳しさで、人間関係がぎすぎすしていたこと、安全環境が不充分だったことや、スピード感についていけなかったことが原因となる。
 我が儘で根性無しかも知れないが、自分の性格ではついていく自身がない。迷った末に再度退職を決意したのだ。 
 極秘事項も含まれるので、詳細を語るのはご遠慮させて頂きたい。

 前職在籍中、自他共に認める自慢が、1つの会社に長く勤めていることだった。しかし、転職先ではたった1ヶ月で挫折してしまったのだ。しばらくの間、自分の堪え性の無さが情けなくなり、自己嫌悪に浸る日々が続いた。
 
 失業後、税金や社会保険の高額な支払い通知に頭を痛めることになる。会社員時代は負担額が軽減され、すべての手続きを任せておくことが出来たので、ここでも会社員時代の有り難みを痛感することになったのだ。

職業訓練校の不合格通知

 2回目の退職後、職業訓練校に通って、スキルを身に付けようと決意した。 早速、ハローワークに駆け込み、失業保険の受給手続きをして、訓練校のパンフレットを頂戴する。以前から、パソコンを学びたいと考えていたので、その方面に重点を置くことにした。また、現在の時代はIT化を導入している会社が多数のため、必要な技能だと考えたのである。 パンフレット入手後、3校の学校見学に訪れた。
 

  1. 駅からの徒歩10分。乗り換えなし。責任者の方の親切で丁寧な説明あり。場所は小ぢんまりして殺風景

  2. 1と同じく交通の便利が良い。清潔感があり設備が整っている。

  3. 距離的には1と2より近いが電車の乗り換えあり。失礼だが、1の場所より殺風景。パチンコ屋の4階にあり、入り口が分かりにくい。後にこの学校を選択することになるが、最良な訓練生活になるとは予想もしていなかった。

 3つの学校を検討後、1の学校を申し込み面接を受ける。しかし、数日後に届いた通知は『不合格』の2文字が記されていたのである。
 募集が多すぎたからなのか、面接の返答に問題があったからなのか深く悩みぬぬいた。
 後で知ったことだが、職業訓練校とは就職をさせることが目的なので、就職意欲のある人を優先的に合格させるのだと言う。無知で勉強不足のl私は、就職希望時期の記載欄に『失業保険受給終了後』と馬鹿正直に記入していたのだ。これでは、不合格になるのは当然だろう。就職希望時期の記載として好ましいのは、
 できるだけ早く就職したい
 スキルを身に付けたいので訓練終了後、すぐに就職したい
 などと答えるのが妥当なのだそうだ。

 しばらく、気の沈む状態で、1回目の退職後のときよりも激しい葛藤を抱くことになる。
 無職であるという自己嫌悪と罪悪感
 将来の不安
 会社員でいたときの未練
などが改めて浮かび上がってくる。
 会社員時代は苦労もあり、制約も多かったけど生活面で不安を感じることはなかった。
 専業主婦の友人を羨むこともあった。しかし、毎日が休日になっても、自己嫌悪や不安に苛まれる。
 時々ある休日に有り難みがあった。
 仕事がないのはかえって辛いものなのだ、とつくづく思い知らされた。

 葛藤の渦から立ち上がり、第3希望の訓練校を申し込むことにした。第2希望の学校は倍率が高いとのことなので、今度こそは合格したいと考えたからだ。
 面接を経て、通知が届くまでの数日間、不安に苛まれる毎日。
「今度も不合格だったらどうしよう。もう、宙ぶらりんな状態でいたくないから、諦めて就活しようかな」
 などと迷路の中をさ迷っていた。
面接から1週間後、届いた通知を恐る恐る開き目を通す。
 なんと、『合格』の2文字が映し出されていたのだ。
 新しい道に進む第一歩を、踏み出すことが出来る。不安も多少あるけど、頑張っていこうとガッツポーズをあげた。


入校した職業訓練校での学びと気付き

 2ヶ月ほど、無職状態になった後、職業訓練校に入校。50代での学生生活が始まる。

訓練1ヶ月目
 労働や法律、コミュニケーションの取り方などの講義を学習。この期間は実技がなかった分、まだお気楽だった。
 ちなみに、タイピング練習は訓練終了まで続いた。
2か月目
 Wordの基礎知識とMOSWord模擬試験の実習。
3か月目
 Excel基礎知識とMOSExcel模擬試験の実習
 2日間はPowerPointの習得
4か月目
 ビジネスに必要な応用実習

 パソコンと無縁な生活だったため、正直授業についていくのには苦労が伴った。民間のパソコンスクールのように自分のペースで学べるわけではない。カリキュラムが詰め込まれており、ハイスピードな授業なのだ。ちなみに、パソコンを使いなれている人もいたが、そういった方にとっては逆に退屈だったかも知れない。
 それでも4ヶ月の間、きちんと習得できたのは、先生の最良なご教授、共に学ぶ仲間に恵まれたからだと思う。結果論として、最初の訓練校で不合格だったのは、不幸中の幸いだったということになる。自分は運が良かったのだ。お陰様で貴重な発見があり、充実していた訓練期間だった。

 訓練期間で得たもの



 

  • 先生の授業が親切で分かりやすいため、楽しく学ぶことが出来た

  • 人柄が良く気さくな仲間に恵まれた。

  • ブラインドタッチが上達した。

  • MOS資格を取得することが出来た。

 パソコンのベテランさんからすれば、笑われるような内容なので、お恥ずかしい。しかし、私のとっては意欲につながる進歩なのである。
 この学校で学んだ経験は自分自身の中で、大きなヒントが生まれたように感じている。訓練生活について語りたい内容はまだまだ山ほどある。だが非常に長文になってしまうので、いつか別の記事で詳細を語りたいと思う。
 
 貴重な学びや気づきを与えて頂いた方々に、感謝の気持ちを忘れないようにしよう。

脱会社員から学んだもの

 長年、勤め上げた会社員生活に終止符を打ってから、寒空の下に放り出されたような渦中に置かれていた。悩みの種がつきず、葛藤の日々が続いていた。
 しかし、会社員でいるときには見えなかった貴重な世界に触れることも出来たのだ。

 次のステップを目指して、結果を出していければいいと思っている。挫けそうになったときは、この記事を読み返すつもりだ。

朗報が記事に投稿できますように。














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