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三文ノ噺
【早起きは三文の徳 -奈良発祥説- 】
江戸時代の中期、大和国では自宅前に鹿の死体を放置していると、三文の罰金が科せられた。
その為、なるべく人より早起きをして鹿の死体がないか確認し、もしあったら隣へ移し、そして置かれた家は、またその隣家に移す。それが繰り返されて、最も遅く起きた家が罰金のお支払いをしたそうです。
時世はどんどんエスカレートする生類憐みの令の影響で、蝿や蚊にもお触れが出る頃。
その中でも大和国で特に手厚く保護されたのが、お鹿様。神様の使いとして君臨し、専属の鹿奉行からは三千石もの飼料を与えられていました。
勢い余って子鹿の頭をコツンと叩いてしまった近所の悪ガキは酷い拷問を受けたりと、お上の狂信的な鹿愛に大和国の民は怯え暮らしていたのでございます。
その光景を、当時の人達はユーモア溢れる小噺や落語で語り、自分達の滅茶苦茶な日常を笑い、ささやかに楽しんだのでした。
‥‥ある日、豆腐屋の倅が出かけようとすると玄関先に鹿の死体がしかと転がり、野次馬が集まっていました。
前の晩に酒を飲み過ぎて起きたのは昼近く。
「やっちまった!けど三文の罰金とか嫌だし」と倅は役人とズブズブの父親に助けを求めました。
豆腐屋の父親はすぐに駆けつけて状況を確認ると、倅をしかり倒して代官所に駆けました。
「あのー、これ倅の玄関前にあったらしいんけど、なんか鹿じゃなくね」
父親が金子を差し出しながら申し出ると、担当の役人は
「んーこれ鹿によく似た犬だね。ワンコこそ本来まあアレなんだけど、シカトしとくんでOK」
と一件落着したものの、豆腐屋だけに父親にきつく絞られた倅は
「豆腐屋だっただけに首をきらず(おからのコト)にすみました。しかし早起きは三文の徳ですね」と呟いた言葉が、
『大仏に 鹿の巻き筆 あられ酒 春日灯篭 町の早起き』
と、奈良の名物を並べたコトバの一端として、後世まで残るとは思いもよらないのでした。
その後、豆腐屋の倅は豆腐屋だけにマメに仕事をしながら真面目に生きたか、豆腐の角に頭をぶつけて死んだか誰にもわからないのでありました。
天晴レ!にっぽん。
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