見出し画像

【31】 ヤマハ子

本店のオンキョウは、私ともう一人の上司の二人で運営していた。少し年上の美人で性格もいい彼女を、怒っているのを見たことがない!という尊敬と愛着の気持ちでもって、心の中で「菩薩さま」と呼んでいた。今まで生きてきた中でダントツー位の素晴らしくデキた人だった。
汚点が一つも見つからないのに嫉妬心さえ抱かせない謙虚さもある、そんな彼女は、音大卒のピアノ弾きだった。


本店内だけで行う小コンサートは完全に身内イベントだったので、企画から開催まで、全てオンキョウの私たちで行うことになる。それまでの歴史に倣って「もし嫌でなければ、あなたも弾いてみない?」と、菩薩さまより誘われたのがきっかけで、数年ぶりにエレクトーンを人前で弾くことになる。菩薩さまとのアンサンブルだ。


習っていた小学生の頃は、ヤマハが嫌いだった。宿題もあるし家での練習は毎日しないといけないし、単純に、演奏していて楽しいと思えなかった。でも、グループレッスン内の自然な流れで、当たり前のようにソロのコンタールに出演し、ありがたいことに賞までもらえて、そこから毎年、なんとなくコンクールに出演し続けた。

小3から参加しはじめ、毎年マイベストを更新し、最後の中1のコンクールでは楽器店代表の大きな舞台で演奏させていただいた。その年を最後にヤマハはやめた。毎年賞がランクアップされていくプレッシャーが重かった。

もともと音楽の好きな両親は、私を2才からヤマハに通わせ、「続けることの大切さも学んでほしい」という理由で、小学校を卒業するまでは辞めさせてもらえなかった。
低学年までは楽しく演奏できていたが、コンクールに出はじめると "賞" が存在する。「楽しい・楽しくない」の尺度は「上手か・下手か」に変わり、グループレッスンで一緒にいた友達はライバルになり、アンサンブルの譜面の並びで順位付けされているように感じた。

両親は賞や順位には全く執着がなく、その点は助かったのだが、私自身が、一番にならなきゃ、という強迫観念を生み、よく言えば「負けず嫌い」の長所にもなるけれど、とにかく気が重く、しんどかった。
私の演奏する教室をわざわざ見にくる子もいて、承認欲が満たされた。
賞をとる度に、ロビーに私の名前が大きく飾られ、その度自信がついた。

嫌なことも沢山あったが、大人になると倍以上の比重で「良い経験」に変わった。
長く続けさせてくれたこと、高価なエレクトーンを買ってくれたことに感謝しかない。

つまり、社会人になってから弾くエレクトーンが、過去と比べものにならないほど、めちゃくちゃに楽しかったのだ!!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?