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わからないから面白いとかいう価値観

「わからないから面白い」という意見を持つ人に対し、かつて私は理解を示すことができなかった。「わからない」と、不安になる。だから絶対的な、再現性のある、定量的な説明が欲しかった。そういう浅い理由で、理系の進路を選択した。試験管の中でフランス革命は再現できない。電気泳動で十字軍を遠征させることはできない。一方で、物体の運動は、物質の生成・変化は、一定の手順に従って説明できる。そう思っていた。

しかし、逆説的な話だが、理系の勉強を進めるにつれ、必ずしもそうではないと思うようになった。

1.解法を思いつく段階は論理的な手順とは限らない
数学で、解法を思いつく段階は論理的な手順で行われているとは限らない。式を見て、どの公式が使えるか、どのような方針で式変形をするか、そういったことを推測する段階では、経験に頼った、明確に記述することが難しい作業が行われているのではないだろうか。論理的な一定の手順で進めることができるのは、その解法の方針が立ってからである。
2.量子力学は複雑怪奇
古典力学では説明できない現象を説明する手段として、量子力学がある。YouTubeで見て大まかに理解した内容でいうと、原子核の周りの電子は確率的に存在していて位置が定まらないのだという。
3.ニュートン力学では3つ以上の物体からなる系を正確に記述できない
高校物理で習うニュートン力学では、3つ以上の物体からなる系を正確に記述できないのだという。例えば、3つのボールを同時に衝突させるとき、それぞれのボールが他のボールに力積を及ぼしており、2つのボールの衝突に比べて非常に複雑になってしまう。
4.大胆な近似をしている
高校化学・物理のレベルでは、数学では見たことのないような大胆な近似をしている。実在気体の状態方程式も、弱酸と弱塩基の塩の液性も、扱うことはない。分子間力や分子の排除体積を0と近似したり、酸や塩基が電離した際に電離していない分子の減少量を0と近似したり、大胆な近似をしなければ物事はシンプルに記述できない。
5.知性なき物理学とベンゼン
20世紀アメリカの物理学者、リチャード・P・ファインマンは、「化学は知性を欠いた物理学だ」という言葉を残している。この言葉を聞いたとき、真っ先にベンゼンの構造式を思い出した。

このベンゼンの構造式は、ケクレ構造式という。炭素間の単結合と二重結合が交互に並んだ六角形だが、厳密にはこのような構造ではないのだという。しかし、そのような説明があった後もこの構造式は使われている(ベンゼン環の中に丸を書いてπ結合を表現しようとする人もいる)。厳密さを求めてルイス構造式のように最外殻電子を点で表現したりしていては、様々な物質の構造式を書くのが大変になってしまうからだ。

ここからいえることは、我々は認知負荷を軽減したいということではないだろうか。世界が複雑すぎる故に、我々は物事を過度に単純化したがるのだ。世界を極めて簡単な、ほんの数個の本質で示すことができたら、それほど気持ち良いだろうか。しかし、それはほぼ不可能なのである。私たち一般庶民は、かつて創世神話で世界を解釈した。日本では国生みの神話、西洋では天地創造、そしてその他のあらゆる地域には創世神話があった。いま私たちは、科学をもってして創世神話の代用とし、世界を理解した気になっているのではないだろうか。科学は我々を安心させるだけのモノに成り下がってしまった?

「わからない」は、怖い。それでも、この性質から離れ、「わからない」世界をそのまま理解できたら、世界はどのように見えるのだろうか。

それはおそらく難しい。人間が認知できる範囲には限界がある。そんな言葉も、どこかで聞いたことがある。今は、安心を求めるのではなく、純粋な興味で、理系の学問をしよう。そんなことを思った。

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