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④叶っていた大きな願い

前回の続きとはちょっと違うけど

最近大きな望みが
叶っていた事に気づいた

私は母に素直になれなくて
社会人になってからも
仕事に夢中になり
仕事仲間との時間が楽しくなり
ますます距離ができた

それでも、ずっと実家暮らしで
30歳の時に転勤で
職場に通うのが遠くなったから
一人暮らしをはじめた

その時も家を出る事は
事後報告で
契約書にハンコをもらう為に
報告した
いつ出ていくかも
はっきり告げず
数日前に言った

母がちょっと悲しそうな顔をした

デパートの券あるから
ご飯行こかー、って言ってくれたのに
忙しいから、いいわ、
と言って断った

私の中では
いつでもすぐ帰って来れるし
そんな大袈裟な
と言う思いもあったのかもしれない

でも、仕事もプライベートも
忙しさと自由の開放感で
帰る事はほとんどせず

母も相変わらず
宗教の活動に忙しく
いつも予定が入ってる状態で
その事への当てつけも
入ってたかもしれない

10年くらい
ほとんど母と話す事もなく
ただ険悪なつもりも無いので
自分の中では
こう言う家族なんだと思ってた
自由な家族なんだ、と

何年も経って
妹から久々に連絡があり
母が足が痛いと言ってる、と

病院に行ったらいいやん
ついていったら?
と突き放すように任せた

付き添いで行っても
今は大して痛くないと言うから
病院でも様子見で帰ってきた、
と言う

でも
家にいると、やっぱり痛い、と

妹がまた相談してきても
ちゃんと病院に行きって言うて!
と、私はまだ母に
寄り添う気がなかった

それでも妹が連絡してくる
最近急激に痩せてて
記憶も曖昧でおかしい

仕方なく
病院に付き添う事にした

先生の前では
大した事ないと言う
年齢的なことだから、と言われる

いろんな病気も気になって
別の病院に連れて行く事になった

京都市内の大きな病院

父も帰ってきた
母の診察の為に家族4人が揃った

母の体調不良が
家族を集めた

約10年、
全員が自由に自分のやりたいように
勝手に生きていた
ある意味、とても贅沢で
お互いを尊重してるような
大人な関係の家族

の、ように見えて
今思えば、私の中には
母への当てつけで充満してた

母を困らせたい
寂しくさせたい

この事が
子供の頃から持ってた

ずーっと握り絞めてた
強烈な願い

母を振り向かせたくて
注目を得たくて
心配すればいいと思って

非行には走らなかったけど
それは自分に度胸が無かった
だけなのかも

この後
母を巡って家族の関係は
大きく変化するけど

これが願いが叶ったんだと
気づいたのはごく最近

もう何十年も経ってるのに
ハッとした

大きな罪悪感と後悔
でも当時の私の精一杯

母との関係が大きく変化した
まだ最初の出来事



つづく

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