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できて良かったね、と嬉しくて良かったね、は違った

先週から小学校のプールの授業が始まり、
久しぶりに息子が「一緒にプールに行きたい」と言うので泳いできた。

気づい頃からスイミングスクールに通っていた私は、息子も習い事をするなら水泳かなぁと思っていた。

でも彼は「スクールには行きたくない」という。だから、私とたまーに区民プールで泳いでいる。

泳ぐと書くと、どれくらい泳げるの?
泳法もマスターしてる?と誤解がありそうだけど、クロールらしきものが泳げるくらい。

浮具をつけて浮かぶ=プールが長かったし、潜るようになったのは小1。

水の中で浮いたり進んだりするのって気持ちいいよね〜って体験を続けていたくらいで、プール好きになったけれど、
スイミングスクールの代わりには全然なっていない。

そして、私の中では泳げないままでいい、ということではない。

ただ彼が乗り気じゃないことを勢いでやると、
怖い気持ちや逃げたい気持ちが大きくなるだけなことを見てきたから、
私のこうなって欲しい気持ちを横に置くしかないな、と今があるだけである。

保育園の水遊び、夏祭りの盆踊り、演劇、合唱など、はじめてのことは怖い、やりたくない」と不参加を決めて見ていたり、
どうしてもと言われて泣きながらやったり、
まぁいろいろな姿を見てきた。

もちろん、私の中に彼への期待はある。

スイミングスクールも行ったら?て10回は言った笑
1寒いと私がプール行きたくなくなっちゃうし。

でも私が決めたペースや、周りの子のペースを基準にして何かできることを急かすのは、結局は私が安心したいためだと気づく。

自分の無意識にかける期待や、自分の安心を作りたいための提案にげんなりしながら、
(私の場合は、だけど)

横に置いておいておいたから、体験できたことがあるので、書いておきたい。

水泳に関しては、
急な彼の「今ならできるかもしれない」のスイッチと、私の想像を超えるチャレンジを何度か目の当たりにした。

そして、とてもびっくりする。

びっくりすると「やった!できて良かったね!」みたいな反応がワンテンポ遅れる。

そうすると、私の反応の前に、
彼の「わーーーーーできた!」みたいな湧き上がるものが先に出てきて、
それをみた私は、嬉しかったね、良かったねという気持ちになる。

嬉しくてよかったね、と
できてよかったねの違いは、なんか違う。

そして、「わーーーーーできた!」を彼と同じタイミングで分かち合えると、めっちゃ嬉しくて、イェーイってハイタッチしちゃう。

おお、こういう体験もあるんだと教わった。

いつでも待てばいいという話ではないだろうし、こういうときはこうすべきみたいなことを決めたいわけではない。

でも、私が想像できる範囲なんてたかが知れていて、私がイメージするものに当てはめるのは違うのかも、と感じる。

面白いな。
いろんな経験をさせてくれて、ありがとう。
知らない世界をたくさん見せてもらっている。

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