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努力するフリという”麻薬”

 僕は頑張っているフリがしたい。

 それで人から手放しに、人懐っこい大型犬を撫で回すように遠慮なく、短距離走のように純粋に、わきめも振らずに一心に、ただただ誉められたい。肯定されたい。英雄のごとく、革命家のごとくに。ただの道路わき、濁るしょんべんに湧くにボウフラに過ぎない僕が。

 学生の時分は努力をすると、例えば試験勉強なんかに精を出していると盛大に褒められたような、そんな気がする。

「マー君、お夜食。持ってきたわよ、今日も頑張ってるわね」みたいな。

「ケーキも食べていいからね、置いとくわね」

「やあやあ、夜から喰うケーキなんてのも乙なもんだねぇ」なんて。

 麗しき教育ママ。従順な子羊。暖かな暖炉。ローストされた七面鳥。燭台に建てられたろうそく。後ろで鳴るモーツァルト。

 ここまでいくといきすぎか。まぁ、僕の家庭に限って言えば夜食みたいな豪華なイベントはなかったのだけれど、ほかの家庭にもあまりないような気がする。うん、しかしあくまでも共同幻想のようなものという事で勘弁願いたい。

 共同幻想やらなんやらにしても、それを大幅にミニマムにしたような親密な雰囲気が実際に僕の家庭にも確かにあった。これは多くの人が共感することなんじゃないかな。どうですか。

 こういった環境にいたおかげで、いつの日か努力すれば褒められるという回路が僕の、いや全国、全世界の少年少女の脳にでき始めるんじゃないか。そういったプロセスがあるのではないか。ジワジワ、とそういう仕組みが大脳辺縁系にしみこみ侵してくる。まるでSFの寄生生物か何かみたいに。

 『努力』という情報を投げ込めば『褒め』という報酬が投げ返されるという仕組みを子供たちは学習する。そういったキャッチボールをやってみる。投げる役もやれば、受ける役もやる。うまい奴もいれば下手な奴もいる。

 もしくは神に祈ればなんとやら。おお、恵みの雨じゃ。やったねおじいさん。今年はコメが食べられるよ。入力と出力。そういった原始宗教チックな仕組みが少年少女の脳に出来上がってしまったのだ。

 結果として、僕を代表とした愚かな人間は努力=賞賛という式を獲得をしそれを乱用する。

 努力なんて身を切る痛みには耐えられない。私たちには幸せな生活を送る権利があるから。ぬくぬく生きる権利があるから。ぬくぬく生きて褒められたい。そこで僕をはじめとした患者は『努力したフリ』という薬剤を服用することにする。これは一日何錠でも服用可。まことに便利なもンです。偽の努力という情報を入力すれば称賛の声が出力される。もう一度、やれ、もう一度。ボールを投げれば2点が入る。あれ?スリーポイントエリアだったんですか?あ、トラベリングってのもあるの?

 患者は多い。そういったわけでみんな盛んに乱用している。最近YouTubeで勉強してるんですよ、じつは絵を書いてて、じつはnoteに小説を(これは僕のこと)ブラブラブラブラ。

 しかし人は嘘にそうそう耐えられるものではないからなんとなく居心地が悪くなる。ムズムズする。

 なんだ水虫か?そんなんじゃないったら。
いい医者知ってるぞ。だから、そんなんじゃないったら!

 時折、本当のことを言うようにする。リアルを語る。言葉を紡ぐ。ヤッパリ賞賛が得られないから、心はすさむ。前に進めない。また努力のフリに手を伸ばす。

 これなんだか見覚えあるなぁ。そう思ったらなんと子供のころに習った薬物依存の仕組みと同じなのでした。努力のフリダメ、ゼッタイ。しかし僕はもう二度とこのスパイラルからは逃げ出せません。遅すぎました。なんでかって?もう僕は『フリ』の中毒ですから。

 僕はもう努力したフリから逃れることはできない。しかしみんなも、似たようなものだろう。みんながそうなら、俺がそうでもしょうがない。これを受け入れよう。

 今日も今日とて世界は乱用者であふれ、SNS上では仮想の努力と仮想の賞賛が飛び交いまくってる。自分も遅れてはならぬ、と勇んでまた誰かが仮想の努力を発信し始めた。

 あ、今も、また。そして君もまた。





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