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🍀共に生きる・1

ときおり思い出す
中学時代の熱血K村先生がいます。

毎日ゴミを拾いながら
歩いていました。

怒ると怖いので
「鬼のK村」と呼ばれていました。
情熱と信念の人でした。


30年以上の前のことです。


***


当時40人近くいたクラスで

「将来 この中で一人は
障害を持った子どもが
生まれてくる可能性がある。
"かわいそう"ではなく
"共に生きる"ことが大切だ」

と教えてくれました。

他人事ひとごとではなく
自分事じぶんごととして
考えさせようとしてくれました。


***


ある日
教室でクラスメートの机の上に
誰かがふざけて、花の入った花瓶を置いたとき※
K村先生は、顔を真っ赤にして、本気で怒りました。

「やっていいことと 悪いことがある。」

そして、昔 自死した生徒のことを話してくれました。
命が 絶たれてからでは遅いのです。

冗談のつもりでも
相手の気持ちがわからず やってしまうと
本人にとっては 死ぬほど苦しいイジメになります。

K村先生は いつも本気でした。
それは ストレートに私たちに伝わって来ました。


***


とてもマメな先生で、
毎日、クラスの学生と
Xエックスノート」という交換日記をしていました。

当時は、そのすごさに気づかなかったけれど
なかなかできないことですよね。
ただでさえ、学校の先生は忙しいのに。
毎日、一人ずつ、
必ずコメントを書いて返してくれました。


ある日 私はXエックスノートに
「なぜ生きているのかわからない」とつぶやきました。
(子どものころから ずっとそう思っていました)

その後 K村先生は、黙って
私に1本のカセットテープを渡してくれました。

それは、早乙女勝元(さおとめかつもと)さんの
講演の録音テープでした。

残念ながら、そのテープはどこかにいってしまい
内容はうろ覚えですが

「毎日 便が出ることの豊かさ」
のような話だったと思います。
熱のこもった話しぶりは、今でも覚えています。

でも当時、中学生の私には
あまりピンときませんでした。
でも、大人になってから
その意味が じわじわときています。

健康であることのありがたさ

生きているからこそ便が出る
決して当たり前じゃないんですよね


今、寝たきりになっている父は
自力でトイレに行けません。


***


それから
私は10年以上前
青天の霹靂へきれき
大病を患ったことがあります。

私はその少し前まで
地球の向こう側の ある開発途上国で
ボランティア活動をしていました。
いい経験でしたが、ストレスも大きい生活でした。
海外にいる間に、その病気が発覚していたら
生きて帰れたか わかりません。

今もこうして生かされているのは
いろいろな幸運が重なったからです。

生きていることが奇跡です。

ですから
今は 第二の人生だと思っています。

***


命に感謝して
人に喜んでもらいながら
生きたいと思います。💞


***



K村先生、お元気かな・・・
久しぶりに葉書を出してみたくなりました。🍃



※[机の上の花瓶]の意味
学校で誰かが亡くなった時、その人の机の上に花を置く習慣を
まねして、生きている人の机の上に花を置いたのです。
K村先生は、これがどういう意味を持つかを訴えました。




🌈special thaks to 雫とコンパスさん
 (表紙イラスト・クリエイター)

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