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変わらない事実と、変えられる事実。

こんにちは、たろうです。

みなさん「高学歴」「低学歴」なんて言葉聞いたことがあるのではないでしょうか。高学歴だと人生勝ち組、低学歴はそうではない。そんなイメージをお持ちの方も少なからずいらっしゃるかと思います。でもこれって表面上だけの情報でしか判断していないんですよね。そもそも物事に優劣をつける事自体に違和感を覚えます。

「学歴は大切、でも人間それだけじゃない!!」

こんな持論について、低学歴な僕がつらつらと書かせて頂きます。「学歴が全てだ!!」という方、「自分の大学なんてどうせ、、」という方の両方に読んで頂きたいです!異論は認めます、思った事があれば是非コメント頂けたら喜びます!

◎「高学歴の人はそれだけ努力している」という事実

大学に入るには試験を受けて合格する必要があります。有名で人気な大学程、合格点数や倍率等の受験生が乗り越えられなきゃいけないハードルが高くなるでしょう。学歴が高い人はそのハードルを越えるため必死に勉強して、受験に合格しているわけです。その努力値は認められて当然です。入学の目的はそれぞれ異なると思いますが、入学したっていう事実だけでも凄いです。本当に尊敬します。

つまり、「頭のいい大学に入った事実」は努力の証でもあり、人を判断する上での一つの物差しであることは変わりません。学歴フィルターを設けている企業がある事に、多少の違和感は抱くものの納得してしまうのではないでしょうか。特に日本という新卒で一気に学生を採用するシステムがある国では、学歴は一番わかりやすい判断材料なのです。

でも、この事実が「低学歴を否定する理由」や「低学歴の自分を卑下する理由」になることは絶対ありません!!僕が伝えたいのはここからが本番です!!

◎「どこに入ったか」ではなく「何をしたか」

ここからは自分の道を正当化しようとしている低学歴の僕の言い訳兼みなさんへ伝えたい事です。笑

大学って「やりたいことに一生懸命取り組む場」または「やりたいことを見つける場」だと思います。「大学は就活のため」なんて方もいらっしゃいますが、それは本質的ではないと思います。だって、それって就活して企業に入ることがゴールになってるじゃん!って。大学も企業も「自分が本気でやりたいことを成し遂げるための手段」にすぎないです。高校生の頃の自分に言ってやりたいです。

ということは、「在学中に自分がどれだけ何かに打ち込めたか」、「どれだけ必死に夢を探したか」というのが一番重要なのではないでしょうか。

例えばAさんとBさんの2人がいたとします。
Aさん「頭の良い大学へ入ったが4年間遊びまくって単位ぎりぎりで卒業」
Bさん「第一志望に落ち無名の大学へ入学。必死に勉強し首席で卒業」
(例が極端すぎるわと思った方、僕もそう思います。)

比べるのナンセンスですが、こう見るとBさんのほうが「4年間やりきった感」が強いのではないでしょうか。別に遊びまくることが悪いとは言いませんが、置かれた場所で咲くために必死に努力をした事実はそれだけで素晴らしいです。

◎自分で選んだ道を、自分で正解に変えていこう!!

自分の選択を後悔することがあるかもしれません。でも後悔なんて無駄です。自分で決めたことなんだから責任もってやるしかないんです。
変えられない事実より、変えられる事実に目を向けて自分らしく生きる事が一番大切だと思います。努力した経験、挫折した経験がその人のこれからの財産になっていきます。下手くそでも、かっこ悪くてもいいんです。
「自分の幸せのために今何が出来るだろう?」って自問自答し続けて、行動に移していけば自ずと「自分なりの正解」が見えてくるはずです!

人間生きているだけで万々歳なんです。胸張って自信もって生きていきましょう!!


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