見出し画像

ひとの人生を知りもしないで

これまで切ない気持ちで1日を終わらせることが多かったのだけど、いまでは満足な気持ちで1日を終わらせることが多い!みんなと、自分のおかげだな!

しかしな、最近の度重なる幸せが大きいあまり、ひとたび小さな不幸せに躓くと途端に立ち上がることが難しくなるな。躓いてしまって、見上げると頭の上に幸せたちが蠢いているのを、下からただ眺めることしかできない、みたいな気持ちになることがある。これも例の「ゆるす」ことに繋がるやつだな。少しの不幸せもゆるさないし、幸せであることさえもゆるさないんだな。のびのびと過ごしたらよいのに。

また、もうひとつの人格で自分を眺めるやつやってしまったな、失敬。

それで、今回の「躓き」についての話なのだけど、ひとの人生を知りもしないで〇〇しないのはもったいない!とか断言みたくのたまう人間と触れ合う機会がございまして、そういう方って割と多くいらっしゃいますが、触れ合うたびに強く思うけど、こういう感性の人間にはなりたくないな!と。責任感も、愛情もまるでない!遠回りをする若者たちを受け入れられないのは、なぜだろう?自分は近道でそこまでたどり着いた自負を持っていらっしゃるのだろうけど、過程って楽しかったりしないかしら?

なんとも腹ただしい。から、これは怒りだな。わたしが直接言われた時も腹が立ってきた。夜目をつむったとき、わたしの友達や兄弟など、大切な人たちがこういう感性の人間と金輪際関わりませんようにとか夜通し考えて、平気で朝まで眠れなくなる。

痛い目を見て欲しくないんだよ、というのがそういう方々にとっての愛情なのだろうか。わたしは可愛い子には旅をさせたいので、分かり合えない。可愛い子に傷がついたら、その時は全力で癒したいし、なるべくその前に守りたいけど、やっぱり心に従わない行動をして欲しくない。

容姿などの、側の材料で決めつける人間は、みんな悪気がないからどうしようもないもんなあ。あっけらかんと仰られるから、こわいときあるね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?