子ども心を持ったまま
「私が大人になったらこんなこと言う人間にならないぞ」と復讐にも似た気持ちになったことがたくさんある。多分みんなもたくさんあると思う。というか私の場合はいまだに、同年代の方々や上の世代の方々から頂戴する言葉に対して思わず舌打ちしたくなる言葉をいただくことがたくさんある。だけども、こないだとある大人の方から頂戴した一言は目を覚ましてくださるお言葉で「これは日記しとかねーと!」って思ったの。でこないだ親友にその話をした時に「ええ話やね。その方もやし、あんたもな!」って言ってくれて、ますます大切な気付きになった。
今年上旬、暦の上ではまだ春なのに夏日を記録する日々が続いていたのを覚えてますか?もとより私は午前中のお日さまの光が大好きなのですが、午後になると夏日を記録する日々に「まだ梅雨も来てねえってのになんなんだよ」と地球を照らすことが仕事のお天道様にいきり立っていました。具体的に何に腹を立てていたかはわからなくて、もしかすると「暑い」「寒い」という事象に腹を立てる文化が浸透していただけかもしれない。好きな季節はなんですか?と言う問いには必ず「冬か夏」と答えるほど白黒はっきりしているものに居心地の良さを覚える人間だったのが、恐らく日々の生活に忙殺されて考える自我を見失っていたように思う。それで、そうすることが何も考えなくて済むし一般的だろうという理由で「暑い日々腹立つわー」と思っていたんだろうし、言葉として発していた。
そんな最中、勤め先の珈琲屋さんでいつも通りお客様と会話しながら珈琲をご用意していると常連の大学の先生がいらして「ホットコーヒー」をご注文された。どれだけ暑くてもホットコーヒーを頼まれる方は割と多くいる。私も冷たいより、熱いコーヒーの方が好きだ。いつも先生は決まって私がホットコーヒーを用意している間に気の利いた短い会話をしてくださる方で、そのお心遣いにもともと尊敬していた。先生が「今日の暑さは気持ちいいですね!」とおっしゃって反射的に「いや暑すぎます、汗止まらないですし…笑」となんとも後味の悪い返答をしてしまった。それでも先生は「あらあら!ご苦労様です!」とにっこりお返事くださってそのまま流れるようにホットコーヒーを受け取りご着席された。
後日。私は小さなことをいつまでもクヨクヨと引きずるタイプであり、先日あんなに明るく話しかけてくれた先生に何て気持ちの下がる返答をしてしまったんだ、と恒例になっている午前中の日向ぼっこをしながら反省をしていると、次第に日は進み午後に差し掛かる。午後の刺すような日の光を肌に吸収しながらふと「この日の光を気持ち良いと思う人間が同じ時間、どこかの地域に存在していること」に目を向けた。それから「気持ち良いと思いながら一度日を浴びてみよう」と思い、立ち上がり目を瞑り、背筋を伸ばして太陽の光をいっぱいに受け止める。立っているだけでも汗ばむけれど、それは確かに気持ちの良いことだった。刺すように痛いよりも、いずれこの季節は過ぎ去る、もう同じ日の光を浴びることはできない、となんだか壊れやすい大事なものを取り扱うときのような、慎重で丁寧な気持ちを覚えて感動した。次に先生にお会いしたら必ずお礼をしよう、と意気揚々にその日の日向ぼっこを終了した。おかげさまでそれを境に本来の、白黒ハッキリした天気大好きモードを取り戻して、今では梅雨のしっかり雨の降った日も居心地よくすごせるようになった。
それから、また後日。先生とあの会話をして恐らく2週間ほど経過した日。いつも通り先生はご来店された。例の如くホットコーヒーを用意しながらあの日午後のお日さまの光を全身に受け止めた感動を思い出しながら、思い切って先生に
「前に先生が、今日の暑さは気持ちがいいですねと言ってくださったじゃないですか私はネガティヴにお返事してしまったけど…」「あの先生の言葉がずっと心に残って思い切って太陽の光を全身で受け止めてみたんですよ!」「そしたら本当に気持ちよくて新しい感性を教えてくれてありがとうございます!」とお伝えすると
「わあ大絶賛、ありがとうございます!僕もいい日になります!」とにっこりお返事してくださった。
先生のようにいつも機嫌良く過ごされている方々は誰にも頼らず、見る角度を変えて自分が機嫌良く過ごせるように気を配っていることに改めて気がついてから生活に触れているすべてのものへの見る角度が変わった。人によってはそれは努力でもなく今までの思考の蓄積で無意識の領域でやってのけていること、それに気がついてん。やから今な、めっちゃきげんようすごせてんねん。みんなの配慮のおかげやし、うちもええ気分を提供する側でいたいやん!と親友に話し、嬉しい返事をくれた。
繊細な幼少期を経てここまで大人になったはずだけど、忙殺ってやっぱりすごいなあ。そしてその余裕のなさに気がつけるチャンスをくださる人に出会える強運がありがたいし、変わろうと思った時に認めて応援してくれる仲間がそばにいることがありがたい。そしてそれに気がつける、子ども心を持ったままの自分にもとても感謝!これだから、人というものが好きなんだなあ。