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読書日記129 【働くおっぱい】

 紗倉まなさんのエッセイ集。AV女優であり、セクシータレントでもあり、ヌードル(ヌードアイドル)でもある。すごく溌剌として知的な感じがする。AbemaTVでアシスタントしていたりするし、テレビにはあまりでないけど、ネットの番組ではよくみるので、知っている方も多いかもしれない。


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 「AV女優」という肩書が世間との隔離を感じることが容易にあると書いてある。物件を借りる時の審査であったり、美容院にいったりしたときに「お仕事なんですか」と聞かれることであったり、色んなことが社会で色眼鏡でみられる。その都度、苦労をする中で著者はこう記す。

 大好きな整体に通い始めた頃。
「お客様は普段、立ち仕事ですか?座り仕事ですか?」
 そう聞かれるたびに、どちらで答えるべきか真剣に考えてしまった。
 勃ち仕事は男優さんのお仕事だしなぁ え、あ、立ち仕事か。脳内でバグってしまったエロ変換を正しながらきちんと思考する。

 思考がAVの仕事の方にシフトしていく。現実とはだいぶ離れた世界でありながら、大半の男女が経験するというものを映像化しているという難しい職業。子供には見せれないというのもすごくコミットを難しくする。

「よく立つし、よく座ったりもするんですけど」
「…? …そうなんですね!身体のどのあたりがひどいですか?」
「腰痛がひどいです」
「毎日つづきますか?」
「いや、月に1回くらいですかね」
「へぇー。なんか不思議な頻度ですね」
「・・・・・・・・。(昨日が月に1度のAV撮影で、内容がお尻フェチで、変な身体の曲げ方をしてしまったせいで腰が痛い。とは言えない。言えるわけないよ)」

 本当のことを話すと、男性ならしつこく聞かれ、女性なら凍るほどにドン引き顔をされる場合もあるという。なので、著者は嘘の職業を述べて、適当にシナリオを並べ立てて、その場を乗り切るらしい。辻褄の合わない個所や生じた矛盾を取り繕うのに懸命になりながら、世間の人とのコミュニケーションをとっていく。

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 刹那というかふっと世間とふれた瞬間に感じる焦燥感とそこに潜む、「受け付けない社会の壁(体裁)」というものが、AV女優という職業をもつ著者の前に重くのしかかる。「どうして、そんな仕事を?」という質問を他のOLのような仕事では言わないのに、人は当たり前のように質問するし、してもいいんだと思う。それこそ「迷惑だな~」と相手が思っているのに、質問を投げかける凶器になっているのに、人は無視をして人の人生にあれこれと質問を投げかけて隔離しようとする。

 この弊害感はAV女優の人だけでない。「引きこもりの人」や「いい大人になってバイトしかしてない人」「ジェンダーの人」など色々な人に目を向けて批判して優越に浸ろうとする「社会の目」のようなものは存在している。その目を見た時に「社会ってなんだよ!」という感情を抱くことになんの理由もいらないことは本当にわかる気がする。

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 著者は考える。老いて「欲しがらなくなった玩具」(自分のこと)をどうするべきなのか?その答えとは、自己責任とは、とことん自分の選んだものに寄り添って、丁寧に使いきることなのだ。著者は書いてる。

 肩書とは、軽い気持ちで選んだものでも、その後どのように扱い、どのような最後を迎えるのか試されているのだ。つまり、途中経過と最終形態をいろんな人に見つめられながら背負っていかなくてはいけない十字架にもなり得るのだ。

 深い言葉に聞こえる。アイドルやYouTuberやインスタなど、世間に顔をさらけ「人気者」になったものたちにやってくる「飽き」や「老い」その中で何を見出していくのか?そういう投げかけを著者は問うている。簡単に世間に発信できる分、返ってくる反動みたいなものは大きくて、簡単なものではない。

 「昨日21Pしてフェラしまくって、うっかり顎が外れそうになったんですよ~腰も超痛いっすよ~~~」だなんて下品なこと、施術師(整体師)さんには口が裂けてもいえないけど(顎は外れそうになるが)、これからも表面では嘘のシナリオを繕いながら、胸の奥に秘めた肩書を、しっかりと丁寧に年数を重ねて、こさえていこう。

 エロくて主張がしっかりとしているエッセイがすごく心に響く。小説も書いているからか文章もうまい。おもしろく一気読みをした。著者のちょっと「冗談っぽい本音」がすごく楽しめる作品。

 

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