見出し画像

読書日記196 【言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか】

 ナイツのはなわさんの新書。語ったものを文字おこししている。M-1の審査員として2018年に霜降り明星が王者になったときのところから書かれている。題名にある関東芸人が大阪を中心とする関西芸人になぜ勝てないのか?ということが書かれている。

 今やM-1はお笑いをやっている人にとっては登竜門になっていて、今は4000組をこえる芸人(多いなー)がエントリーする一大イベントになっている。2001年が最初なんだけどM-1のおかげで、「お笑いで食べていく」という芸人が相当増えているらしい。

 確かに少しでも売れれば普通のサラリーマンよりお金を稼ぐことができるし、アイドルやモデルのような「容姿」が壁になることもない。演劇や映画のような「団体戦」でもない。個人の努力があればというのもあるし、若い人が増えている程もありながら、苦節何十年という年配者でも面白ければ公平というルールがある。

 インスタとかTwitterとかが有名人のインフルとすると、YouTubeとかは正直その壁が少ない感じがする。TikTokなんかはその顕著たるもんだと思う。SNSが発展した時は出会いの場のようなコロニーのような小さな集まりであったのが有名人が使うものに変わり、そして対等の個人の場にもどりつつある。ただ今のお笑いってテレビや劇場が最終形態感があるのでYouTubeなどでは面白い芸人って少ない感じがする。そこらへんが解消されれば更にM-1って面白くなるなとは思う。


画像1

 中川家が初代の王者になってからの芸人のことが書かれている。同期のキングコングやU字工事などやその後のNON STYLEなど色々が芸人のことが書かれている。漫才としてどうなのか?という純粋に漫才という部分だけで書かれているので、そこらへんがの新鮮にみえる。「テレビうけ」というかテレビで活躍という観点を忘れている感じがすごく読んでいて、「そうだよな芸人って本当はそうだよな」と思い出させてくれる。

 漫才は「しゃべくり漫才」が「コント漫才」があってコント漫才の説明「おまえはコンビニの店員やって、俺は客やるから」という説明が入る。昔の漫才は「じゃべり漫才」というか「やすきよ」の漫才が王道だった。誰でもわかる普通の喋りから漫才にはいり終わるという漫才。コントのような漫才もあったけど、芝居風というか新喜劇のような感じだった。

 それがダウンタウンの頃になると「コント漫才」が入りはじめる。有名な「食いしん坊ばんばんざい」(正式な名前は忘れました)というネタでは浜ちゃんがレポーターで田舎の美味しいものを食べにいくのだけど、だされた料理が大事に飼っていた「はなこ」という牛のお肉でというオチがあって、大笑いしたのを覚えている。その時に「あたらしい漫才」とすごく評価されていた。コントでやって面白そうなネタを漫才師が連発し始めて、その後にコント番組が増えていく形になる。(1980年後半)

 初期のM-1の王者はしゃべり漫才ができる人と書かれている。確かにそうだなと思う。王道というか喋るだけで面白いというのはあるというか、普通に漫才で売れている「漫才師」が優勝的なところがあった。それからまだ売れていない人気はあるけど知名度の少ない漫才師が優勝するようになって、M-1の知名度をあげていった。その舞台裏みたいなものが書かれている。

 お笑い理論というか、ロジックに考える人って結構好きで、松ちゃんが昔によく言っていた。桂朱雀(かつらしじゃく)のお笑い論「笑いとは緊張の緩和」というのと「逆も然りというか緩和からの緊張でも笑いっておこる」と言ったというのは有名で、まだ無名だった漫才師の卵が言ったと売れてからよく言われていた。

画像2

 ナイツのお笑い理論を読みながら、芸人の生きざまみたいな「アンダーグランド」の世界観を観るのって楽しいなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?