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【解離性同一性障害】DIDと生きた7年間のこと。

閲覧ありがとうございます◎
tel.の主人格3年生、獏(ばく)と申します。
激し目忘れん坊な気質の補完と、内省の言語化を練習する場として、noteを開設してみました。

自分達の事、一緒に生きるパートナー達の事、今の自分達を形作ることになったさまざまな事。
少しずつ、ひとつずつ、言葉に残していけたらいいなと思っています。

【DIDについて】


1つの身体の中に複数の自我が芽生え、それらが制御出来ない状態に陥る精神疾患、解離性同一性障害(DID)。
いわゆる多重人格というやつで、ひとつの肉体を赤の他人達とシェアをしているような感覚とともに生きています。

DIDによる人格交代が生じている状態を"ボディシェア"、一緒にこの肉体を使っている交代人格達のことを"シェアメイト"という言葉を使って表現することが多いです。
なんとなく人格、交代、解離、といった単語にプラスの印象がなく、言い方を工夫した末に辿り着いた言葉達です。解離を受容することが難しかった、前のメイン(主人格)の影響なのかな、とも思います。


【DIDの発覚】


Twitterを見ていると、若齢の頃から自身がDIDだと解(わか)っていた人が多い印象を受けますが、自分達がDIDに気付いたのは大体20歳の頃でした。

もちろんそれ以前にも解離症状は多々現れていたらしく日常的に人格交代も起きていたのですが、記憶にない自傷行為があるのも、身に覚えのない事で叱咤を受けるのも、気が付いたら数日が経過しているのも、「みんな当たり前にある事」だと思い込んで生活していた為、「それが精神疾患だ」という意識もなく生活していたそうです。
今思えばそんなわけありません🥱笑

ただ家族を含め身の回りの友人達の懐が深かった事もあり、ハタチでDIDが発覚するまではtel.の事を「鳥頭で気分屋のうっかりさん」として受け入れてくれていました。病的な症状として認識されていなかった期間がとても長かったのです。


そんな自分達の、性格がころっと急変する性質や不自然な記憶の欠落が病的な範疇にあると気付いたのは、大学時代に交際をしていた恋人だった、と聞いています。

幼少期のトラウマで異性に対する恐怖心がある事、自傷行為をしてしまう時がある事、またその時の記憶があまりない事。
専攻していた大学が心理系な事もあり、ある程度知識があった当時の恋人は、そのカミングアウトから解離性障害を疑った様でした。

その見立てを(多分)後ろから聞いていたシェアメイトの1人が、恋人を通じて当時のメインに存在を主張する様になり、紆余曲折を経て現在に至る…といったところです。

(今のアカウントを運用し始める前のDID交流用アカウントを作ったのも、どうもこのあたりの頃の話らしい…?)

恐らくこの大学時代の恋人から指摘される事がなければ、自分達は今でも「鳥頭で気分屋のうっかりさん」として生きていたんだろうと思います。
そんな未来を想像するだけでも恐ろしいな、と慄くばかりです。


【DIDが解ってから】


成人してから自分達の生き方がマイノリティだった事に気付いたtel.達は、周囲を巻き込んでてんやわんやしながら慌ただしい数年間を過ごす事になります。

精神疾患だと解った事で、それをなんとか治せないか人格を1つに戻せないかと躍起になる人。
必要だから別れている人格を1つになんか戻せる訳がないだろ、と憤る人。
そもそも本当に精神疾患なのかと、自身達の症状に懐疑的な人。
DIDだってバレちゃったならもう好き勝手しちゃえばいいじゃん楽しんだもん勝ちじゃーん、な人。
そんな事全部どうでもいいから早く消えて居なくなりたい、と嘆く人。

シェアメイト内でも当然の様に意見が割れ、家族やその時々の恋人の反応や考え方もさまざま。
病院にかかっては匙を投げられ、カウンセリングを受けては治療を断られ。
取り上げられては買ってきてを繰り返す自傷道具、処方されては消えていく薬、度重なる遁走の末に着けられたGPSに助けられた事もしばしば。
救急や警察のお世話になる事もあった様で、DIDが解ってからの3年ほどはそりゃあもう酷いものだったと聞いています。

皮肉なものだと思うのですが、精神科や心療内科への通院やカウンセリング療法、USPTと呼ばれる統合治療を諦めた辺りから、日常生活を送る上での弊害は減っていった様に感じています。

【主人格の移行期の事】


丁度この大変だった3年間を通り過ぎて少し経った頃、前のメインの人が表に立って活動する事がだんだんと減って行き、いつの間にか気がついたら自分がメインの役割を担う事になっていました。
前のメインの人と自分自身の自我が別個である事に気付くまでに半年ほどを要したくらいには、少しずつ緩やかに分裂が進んでいっていたのかなと今では思います。

今まで何の気無しに着られていた洋服を着なくなり、気に入っていたはずのヘアスタイルを変えて、違和感を感じ始めた肉体の本名の代わりに"獏"という名前を名乗るようになり。
自分が自分として、この人生の主導権を握る様になったのが、3年と少し前の事です。

なんとなく漠然と、前にメインを担っていたシェアメイトはもう戻ってこない様な気がしながらも、「もし前のメインの人が帰ってきても、生きていくのに困らない様な基盤を作っておこう。」という想いから、自分の考える"こうしたら生きやすいんじゃないか"を模索しながら命を繋ぎ、現在に至ります。
主人格3年生の今でも、自分の行動理念の中心はここにある様な気がするので、今でも"代理主人格"の心持ちなんだろうな、と書いていて感じました。


【おわりに】


どうやってまとめて終わらせよう、と頭を抱えて10分が過ぎています(現在進行形)。

はじめにも書きましたがここには、激し目忘れんぼうな自分が、覚えていたいけど忘れてしまいそうな事を書き記したり、曖昧な自我を振り返るための独白を残したり、を主体に運用していきたいなと思っています。

その中で、パートナーとして一緒に生きてくれているchat.達の事や、前のメインの人が生きやすくならないかなと思って変えてきたあれやこれやの手続きの事、普段口にするのを憚ってしまう自分にとって大切な記憶の事なんかに触れられたらいいなぁと💭

あくまで解離性同一性障害を罹患している一症例の独り言なので、「これがDIDだ!」「これらが当てはまらないDIDは詐病だ!」なんて意図で言葉を選ぶ事は一切ありません。
それだけはどうか、知っておいていただけるとありがたいなと思います。

拙い文章ながらもここまで読んでくれた誰かへのありがとうを綴って、今回のお話はここまで☁️

おやすみなさい。

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