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青ネギを握りながら「早く人間になりたい」と思った話
真夜中2時の台所はなんとなく物悲しい。僕は1本の青ネギを握って立ちつくしていた。
「ネギって冷蔵庫で保存した方がいいんだっけ」
どれだけネギを見つめても、彼は青い顔でひょろひょろとするばかりだ。人間だったら間違いなく体調を心配される風貌である。「先生、ネギ君を保健室に連れて行ってきます」と思わず口走りそうになった。
そういえば小学生のとき、体調の悪いクラスメイトをここぞとばかりに保健室に連れて行っていた女の子って何だったんだろう?彼女はいま幸せに暮らしているのだろうか?
いや、いま僕にとって大事なのはおせっかい女子ではない。青ネギの保存方法だ。こいつは冷蔵か?それとも高温多湿を避けて常温で保存か?
「ここJAPANで高温多湿じゃないところなんてねぇだろ」というツッコミをさておいても、ネギは僕の疑問に一切答えてくれない。応答がないことは百も承知だが、僕はネギにそっと語りかけてみることにした。なるべく優しく、真心を込めて。
そういえばこの30年、調子の悪い電化製品にもネギと同様に優しく接することを心がけてきた。「いつもありがとうねぇ〜」とさながらオバハンのようなイントネーションで。ときには電化製品をなで回し愛撫することもいとわない。真心で接すれば、真心で返ってくるというものだ。
30年間が走馬灯のように脳裏に浮かぶ。走馬灯が浮かぶということは、その後だいたい奇跡体験アンビリバボー的な展開が巻き起こるものと相場は決まっている。なんだかネギが応答してくれるような気がしてきた。そしたらすぐフジテレビに電話しよう。ていうかたけしさんのあの番組でのポジションって何なんだ。
様々なことが頭をよぎる中、某人工知能に語りかけるが如く、ネギにささやいてみた。
「Hey Negi」
日本で最もポピュラーな香味野菜に語りかける成人男性の声だけが、台所に虚しく響いた。切ない。草葉の陰でジョブズも泣いている。
話を戻そう。
ただひたすらにネギを握るだけの時間が流れていく。こんな不毛な時間があっていいのだろうか。この時間が最もアンビリバボーである。なんとなくネギを握り直したりしてみるが、これといって意味はない。
野球少年の血が騒いだのか、無意識にスライダーの握りを試していた。ネギがバッターの手元で鋭く曲がり落ちる様子を思い浮かべると滑稽だった。まさかネギ農家の老夫婦も自分たちの作ったネギで奪三振ショーが繰り広げられているとは思わないだろう。いや実際には全て僕の妄想でしかないのだが。彼らの孫たちがマウンドからネギを投げないことを祈る。
ーーーーー
結婚してから分かったことがある。僕は本当に生活力が欠如している。だって、ネギを冷蔵庫に入れるかどうか判断がつかない人間なのだ。ネギを冷蔵庫に入れるかどうか判断がつかない成人男性ってヤバくないか。社会的に死んでないか。
我ながらよく何年も一人暮らしをしてきたなと感心する。本当に一人暮らしをしていたのか怪しいほどである。実は小さなおばさんたちが一人暮らしの部屋にこっそり集落を形成し、陰ながら僕の身の回りの世話をしてくれていたのではないか…
…いやでもそれって普通に不法侵入だし、おせっかいババアだな。
帰ってくれ。
欠如しているのは生活力だけではない。常識が欠如している。これまで自分のことは、常識と良識とラブアンドピースにあふれた真人間だと思っていたが、どうやらそうではないらしい。奥さんは僕の知らないことをたくさん知っている。しかもそれは大人の間では常識らしい。保険とか、行政の手続きとか、よく分からない。僕はゆとり世代が生んだモンスターだったのだ。早く人間になりたい。
このままだと社会的な死が近い。行政手続きができなければ、少なくとも日本国民ではいられないだろう。国籍不明だ。僕はどこに強制送還させられるのか。生きるために学ばなければ。
そう考えると、結婚は必然的に色々なことを学べる機会である。今後も奥さんから色々と教わることがあるだろうし、2人で答えのない問いに向き合うことで、新たに学ぶこともあるだろう。
楽しいことばかりではないだろうが、そういう意味で結婚は良いものなのかもしれない。同じことを10年後も言えていたら、きっと幸せな生活を送れているということなのだろう。がんばれ僕。
ーーーーー
どれだけネギを握っただろうか。色々と考えるうちに握る力が強くなってしまっていた。ヘロヘロとしたネギは、ますます体調が悪そうに見える。
僕もそろそろ寝たほうがいい。意を決して勢いよく冷蔵庫を開け、ネギを冷蔵庫の最上段にしまった。しまおうとした。
「ネギってラップとかに包まなくていいんだっけ」
旅は始まったばかりである。
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