キミもいつかおしぼりで顔を拭く人になるから安心してほしい
人目を気にしながら生きてきた僕だが、歳をとるにつれてそうでもなくなってきた部分もある。
その際たる例が「おしぼりで顔を拭く」ことだ。主に若い女性から蔑んだ目で見られるアレである。
ヒンシュクを買う行為だとは何となく知っていたから、20代前半まではぐっと我慢していた。
最近は我慢のダムが決壊したのか、血が出る勢いで顔を拭いている。なんと気持ちのいいことか。お客さんの多い喫茶店でもお構いなしだ。
店員さんが持ってきたホッカホカのおしぼりをまぶたに押し当てる。デスクワーク戦士の眼精疲労におしぼりの女神が微笑む。
おでこから頬、鼻、あごまでゴシゴシと一気に拭き上げる。肌に摩擦を与えてはいけないといつぞや誰かが言っていたが、そんなものは知ったことか。
拭いた直後に外気に触れた顔面の爽快感のために僕は日々つまらぬ世界を生きている。菅田将暉が何だ、ハライチ澤部が何だ、真の肌男とはオレのことだ。なぜメンズビオレのCMオファーが来ないんだ。
どこですり込まれたのか不明だが、僕には「おしぼりで顔を拭く人=おじさん」というイメージがある。なぜおじさんはおしぼりで顔を拭くのだろうか。
20代前半まではそうでなかったのに、アラサーの曲がり角で拾ったおしぼりで顔を拭くようになった自分の経緯から想像するに、
歳をとると周りの目を気にする体力がなくなっていくのではないだろうか。
自分以外の意識を考慮するというのは、相応に体力が必要だ。他人が考えていることは自分には分からないからだ。分からない中で想像し、その上で自分の行動を決定していかなければならない。
マップがないのにクッパにさらわれたピーチ姫を助けに行くようなものである。さすがのマリオも涙目だ。
それでも若い頃は体力があったから、マップのないRPGでも走り回れた。だが歳をとるとどうだろう。イチイチ他人の目を気にしながら生きるのは面倒になってくる。
「他人の目が気になる」ことと「自分が快適である」ことが日々自意識の中で陣取り合戦をしている。
若い頃は前者がほぼ100%を占めていたが、歳をとるにつれて後者がジワジワと勢力を拡大していく。
そしてある時、前者と後者がひっくり返る瞬間がやってくる。その特異点を「おじさんになった」と呼ぶのだと思う。
かなりダサいが「オジンギュラリティ」と呼んでもいいかもしれない(こういったダジャレを腹に留められない辺りも最早そういうことだ)
ただ、自意識から解放されるという点において、老いというものは悪くない。他人の目が気になって悩んでいる人も、おじさんになる日を楽しみにするとよい。
そうやって価値観も経年変化していかなければ、この浮世をCROSSINGすることもままならないだろう。
と、自分に言い訳をしながら先日もおしぼりで顔を拭こうとしたのだが、隣のテーブルに陣取っていた女子高生のグループの目が気になり、一瞬ためらってしまった。
いくら何でも女子高生は怖い。後で何を言われるか分かったものではない。
彼女らは「インスタのストーリーに自分の写った写真を勝手に使われてマジムカつく」という話をしていた。インスタのストーリーにムカつく人はおしぼりで顔を拭くおじさんにもムカつくだろう。
彼女らに見えないよう身体を縮こませながら顔を拭いた。縮こまっていても拭いた後の顔面は爽快感に包まれていた。
ん?もしかしてこれって、
歳とって他人の目が気にならなくなったから顔拭いてるんじゃなくて、
歳とって顔面から皮脂が出やすくなったから顔拭いてるだけじゃね?
あれ?
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