見出し画像

冬の

中学3年生の冬、受験期の真っ只中。
俺の住んでいる地域は本当に田舎で近くに塾なんてなかったから毎週土日に母親の車で50分ほどかけて塾に送って貰っていた。勿論塾に知り合いなんていなくて初回は本当に心細かった。

昼にはもう塾についていて、夜の6時ごろには講座が終わっていた気がする。塾の駐車場は狭くて何十人もの生徒が通っているためとてもじゃないけど入れない。だから塾から徒歩15分ほどの小さなショッピングセンターで母と合流していた。俺の住んでいた田舎と比べてその街は繁華街だったから、冬の夜6時でも車の通りが多いし視界が明るい。田舎の真っ暗で舗装すらボロボロの道しか歩いていなかったから、塾が終わってからショッピングセンターまでの冬の街並みを歩くことが俺にとっては楽しみだった。

時には雪も降った。手が悴んで折り畳み傘が上手く開けない。なんとか傘が開けても横なぶりの雪だったから服が雪塗れになった。街灯や車や建物の淡くて優しい光、冬の澄み切った空気、機動性が失われるうざったい厚着。信号待ちをしている時、息が真っ白だったのを覚えている。転ばないように注意しながら雪の積もった道を踏み分け行く。
大学生らしい二人組が自転車置き場でアニメの話をしていた。それを横目に入り口の自動ドアからショッピングセンターに入って、空調の効いた暖かい空気が俺を出迎えてくれる。母と合流し、適当に夜ご飯を食べて帰路につく。帰路の途中にある古本屋でサブスクに入ってないUNISON SQUARE GARDENの流星前夜のCDを買って、車の中で何度も流していた。

受験期に聴いていた音楽は鮮明に覚えている。元々はあまり好きじゃなかったBUMPもこの時期に好きになった。丁度紅白に出場した年で天体観測となないろを演奏していて、リアルタイムでそれを見ていて見惚れてしまった。その次の日、即ち元旦から塾があってその行きには車輪の唄とsailing dayを聴いて少し勇気づけられたし、帰りにはHello,world!を聴いていた。
他にも元々好きだった神聖かまってちゃんやandymoriを真剣に聴くようになったり、ACIDMAN、ART-SCHOOL、THE BACK HORN、大槻ケンヂ、相対性理論、パスピエ、くるりなどもこの時期に発掘して何度もリピートしていた。言ってしまえばサブカル的な音楽だが、学校でかなり孤立していた時期と受験の不安が重なってかなり精神が追い詰められて軽い鬱状態のようになっていたから、逃避先として本当に音楽に助けられていた。

俺にはもう勉強しかない、と思って時には音楽で現実逃避しながらとにかく勉強した。その結果志望校には無事合格した。結局、クラスの雰囲気に馴染めず、勉強でも落ちこぼれ、人間関係も失敗の連続で毎日死にたいと思いながら通い続けたら本格的な鬱になってしまった。最終的には中退というあまりにもな結末。

最近、父親と街へ出かけた。12月も後半に差し掛かって冬も深まってきた。イルミネーションでキラキラと光る街を歩く楽しそうな人々を見るともう一種の諦めのようなものを感じて、憎いとも思わなくなった。帰りの車でなんとなく車輪の唄を流した。その時、受験期の冬のことをふと思い出してこの記事を書くに至った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?