見出し画像

「賢い」、または「聡い」人に会うと、何とも言えない感覚になる。
何とも言えないのを何とか文章にしてみたいと思う。

先日、一緒に仕事をしているAアドバイザーさんと、その友人でもあり、お客様でもあり、職場の同僚でもあるBさんと三人で遊んだ。(Aアドバイザーさんはアドバイザー業の他にも仕事をしている。そこでの同僚の方。)
お互い子連れだったので、だいぶわちゃわちゃしていて、あまり話せなかったが、楽しかった。

あまり話せなかったが、Bさんの「賢く」て「聡い」様子に私は感動したのだ。

まず、Bさんは私に会いたかったと言ってくれて、このノートの記事を読んでいて、感想を伝えてくれた。
…褒めてもらったから。褒め返しているわけではない。笑

その感想の伝え方が秀逸だったのだ。
だいぶ子供に邪魔されながらの会話だったが、短い時間での中で、しっかりと私に伝えてくれた。
何て言ってくれたかを詳細に話すと身バレしてしまう恐れや、Bさんが不快に思ってしまったら嫌なので避けたいが、
「すごく面白いです。」とかではなく、「○○の記事の○○のところがすごくよくて、私は○○と思ったんです。」などと、具体的かつ、自分がどう思ったかを添えて伝えてくれたのだ。
嬉しすぎて何回も聞きたくなったのは言うまでもない。笑

他にも、仕事の話でも、単なる愚痴ではなかった。聞いていて不快にならなかったし、彼女の凄いところは「笑い」にもたけているところだ。
話のところどころにユーモアが混じっていて、聞いていて心地よい。

そして、一番は、終始気を使ってくれている様子は感じるが、「本音」で話してくれているところにいつも感心してしまう。

私が「また話したい。」とか、「もっと知りたい。」「一緒に仕事をしたい。」と思う人は「本音で話してくれるか。」どうかであると最近強く感じている。
上辺だけの中身のないコミュニケーションに時間を使うことにうんざりするタイプなので、しっかりと自分の意見を発信する人に出会いたいと常々思う。
だから私も本音で話すようにしている。
そうするとそれが苦痛に感じる人は私から離れていくので、最初はそれが悲しかったが、今ではありがたいとすら感じれるようになってきた。
自分の仲良くなりたいと思う人が自分のそばに残ってくれるからである。

さて、実はこの話で本当に注目して欲しいのが、Bさんだけではなく、Aアドバイザーさんなのだ。
どういうことか。
Aアドバイザーさんはとても真面目で優しくてかわいい人で、今までも友達がもちろんいたが、その優しい性格から、「利用」されてしまうことも多かった。そのことに三年前に気付き、「自分を大切にしてくれる友達が欲しい。」と、自分ととことん向き合って、「大切にしてくれる」の他にも、「こんな人がいい!」とわがままに理想をノートに書き出すということを繰り返ししてきた。
ノートに書き出すということは、本当にしんどい。
自分が大切にされていなかった事実を受け止めたり、理想を書くということは、自分自身のレベルも上げていくことを覚悟する必要がある。
レベル上げは単なる「キラキラ女子」になるとかそんなんではなく、「ありのままの自分をまるごと受け止めて、得意を伸ばすために学び、行動する」ことだ。
それは容易なことではない。
でも、彼女は波があるものの、愚直に行動してきた。たくさん失敗もして、泣いてきた。
でもそんな日々を乗り越えてきたから、Bさんに出会えた。
Bさんに自分の仕事を理解してもらえて、Bさんの髪やお肌のサポートができると分かった時、彼女は泣いて喜んだ。今回はうれし涙であった。

・・・そんな二人はとても信頼し合っているように見えた。
とても素敵な関係だと思った。
Aアドバイザーさんは私に、「Bさんはとても頭がよくて、自分を持っている。私はそんな彼女をとても尊敬している。」と。
「好き」は当然で、「尊敬」がある関係はとても美しいと思う。
私も、一緒に頑張ってくれているアドバイザーさんたちや、友人である秘書のあの人もパン屋のあの人も、ケーキ屋のあの人も牛乳屋のあの人も、店長のあの人も、天然なあの人も、、、、みんなみんな大好きはもちろんで、とても尊敬している。
友人関係も、夫婦関係も「尊敬」がないと続かないと思う。

自分の理想の友人兼お客様に出会えたAアドバイザーさんにも感動したし、Bさんの賢くて聡い様子にも感動したとてもいい1日でした。
何とも言えないの正体はシンプルに「感動」していたんですね。私。

最後に…Bさんは会社員で、若いのに役職もある素晴らしい人なのだが、
タイプ的に起業した方がいいな…とこっそり思っていたのは、ここだけの話。(友人の店長してるあの人にも思っている。)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?