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わたしの本棚 2冊目

わたしはよく本屋さんを徘徊します

読みたい本をみつけて
その本を買って
その本を手に入れる

そしてこの本を読み終えるまでは
もうすこし生きていようかと思う

わたしがよく本屋さんを徘徊するのは
もうすこし生きていようかと
思うためだったんだと

昨日(2024/06/22)の夜に
大型新刊書店の5階の片隅で
ハッと気がついたので
忘れないためにもここに書きました

でもこの世にもし本屋さんがなかったら
どうしていたんだろう
とか思います

もうすこし生きていようかという
ささやかな希望を
能動的かつ終始単独行動で
掴み取りにいく方法を
はたして他に見出せたのでしょうか

たとえばこの世に本屋さんがなかったら
きっと図書館を徘徊していたと思うけれど

図書館は全ての本を開架しているわけではないし(=閉架図書とは偶発的に出会えない)

図書館の本は
思ったことを書き込んだりしてはいけないし
もちろんずっと借りたままにはできないし
うっかりコーヒーをこぼしたりしないように
気をつけて丁寧に扱うべき公共物なので

わたしの場合は
図書館の本を借りている間は
本とのあいだに
なんらかの緊張が生じてしまいます

一方で
本屋さんで買った本は
気兼ねなく関係を取り合える
本とわたし
1対1になるのが
心地良いんだと思います



また長くなりましたが
本日も
共有したくなった本があるので
ご紹介します

昨日の夜
大型新刊書店の5階を
ふらふらと気の向くままに
徘徊していたときにみつけた本です

舟越桂『彫刻家・舟越桂の創作メモ 個人はみな絶滅危惧種という存在』(集英社、2011年)

表紙の彫刻は
『見晴らし台のスフィンクス』(2008)
という作品

彫刻家・舟越桂さん(Katsura Funakoshi,1951/5/25〜2024/3/29)が書き留めていたメモや、舟越さんの彫刻作品やスケッチの写真が、1冊の本にまとまっています

題名の『個人はみな絶滅危惧種という存在』の言葉の強さと、表紙の彫刻作品のよくみると温柔な面持ちと剛気な素材がひとつの個として一緒に存在している、その不思議な雰囲気に、吸い込まれるような感覚で手に取りました

この本を読んでみると
誰もいない貸切状態の美術館に
ひとりで訪れたような気持ちになりました

創作メモとして残されたことば
鋭さとやさしさを併せ持つことば

何もことばを発さない彫刻作品から
ことばにならない何かが漂っている
その何かを受け取ろうとすること
あるいは受け取らないという選択をすること

言語と非言語のあいだを行き来する
体験型の持ち運び可能な美術館のような本です

どこかでみかけた際にパラパラっと
数ページでもめくっていただけますように

ここまで読んでくださって
ありがとうございました

さいごに
最近聴いて面白いと思ったアルバムを
ご紹介して終わります

『Unde Imber Et Ignes』(by Rick van Veldhuizen)/ Katharine Dain, Nederlands Studenten Orkest & Manoj Kamps

どうやら梅雨入りしたとのことです
いっそうご自愛なさってください

sony α6100 で撮った
保和苑の紫陽花



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