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留学生が少ない。そんな法学部は日本人でも大変

 去年の今頃(執筆時2023年秋)から、私の大学にも大分外国人留学生が増えてきました。しかしながら、キャンパス内ではどこでも見かけるのに、いざ法学部棟に入ると、全くいなくなるのです。
 彼らは何を学んでいるのでしょうか。本人たちに直接確認していないので断言はできませんが、国際系や政治系、社会学系の学部棟でよく目にすることから、それらの学部で学んでいると思われます。

 では、なぜ私が所属する法学部には留学生が少ないのでしょうか。
 ※第一次的には英語と親和性が低いというのもありますが、個人的にはそれ以上に日本語を高度に理解していないと授業についていくのが難しいという点が影響しているのではないかと感じます。

※注:英米法といった分野も学ぶことはできますが、日本の大学である以上、日本法の履修が前提となっているカリキュラムになっています(若干語弊がありますが、話すと長くなるため概略に留めます)

 具体例を3つ挙げましょう。

 まずは、これ。

「未完成ニテ振出シタル為替手形ニ予メ為シタル合意ト異ル補充ヲ為シタル場合ニ於テハ其ノ違反ハ之ヲ以テ所持人ニ対抗スルコトヲ得ズ但シ所持人ガ悪意又ハ重大ナル過失ニ因リ為替手形ヲ取得シタルトキハ此ノ限ニ在ラズ」(手形法10条)

 どうですか。衝撃のカタカナ書きですし、文章を区切る句読点が付されていません。法律知識の有無に関係なく、日本人であっても読解するのに苦戦んするのではないでしょうか。

 一応、平仮名書き・現代語化すると以下のようになります。

「未完成で振り出した為替手形に予めした合意と異なる補充をした場合、その違反はこれをもって所持人に対抗することができない。ただし、所持人が悪意又は重大な過失により為替手形を取得したときはこの限りでない。」

※悪意:知っていること。対義語は善意(知らないこと)。決して他人を害する意図の意ではない。

 本条文は要するに、便宜上の理由から金額欄を空欄にしておいた手形に勝手に高額な金額を記入されたからといって、現在の手形所持者がその勝手に高額な金額を記入されたという事情を知らない限り、ちゃんと記載通りの金額を支払ってね、というものです。
(もっと言えば、金額欄を空欄にしておいた結果、勝手な数字を記入されても自己責任だからね、ということです。)

 次はこれです。

「第九十九条第一項、第百条、第百二条から第百五条まで、第百十条から第百十二条まで、第百十四条、第百十五条及び第百十八条から第百二十四条までの規定は、検察官、検察事務官又は司法警察職員が第二百十八条、第二百二十条及び前条の規定によつてする押収又は捜索について、第百十条、第百十一条の二、第百十二条、第百十四条、第百十八条、第百二十九条、第百三十一条及び第百三十七条から第百四十条までの規定は、検察官、検察事務官又は司法警察職員が第二百十八条又は第二百二十条の規定によつてする検証についてこれを準用する。ただし、司法巡査は、第百二十二条から第百二十四条までに規定する処分をすることができない。」(刑事訴訟法222条1項)

 いかがでしょうか。この長さでたった2文です。それに文中で指摘されている条文を1つずつ確認しなければ具体的内容が見えてきません。
 これは、すでに存在する条文と類似内容を規定したい場合に、新たな条文を設けず、類似規定を読み替えるように記すことで条文量の膨張を減らす立法テクニック、すなわち「準用規定」というものです。

 例えば、学校の校則を作成する際、

【不審者について】
①不審者の侵入を発見した場合、先生に報告する。
②先生は不審者侵入の報告を受けた場合、警察に通報する。
(略)
【不審物について】
①不審物を発見した場合、先生に報告する。
②先生は不審物の報告を受けた場合、警察に通報する。
(略)

と記すよりも、以下のように記載した方が簡潔ではないでしょうか。

【不審者について】
①不審者の侵入を発見した場合、先生に報告する。
②先生は不審者侵入の報告を受けた場合、警察に通報する。
(略)
【不審物について】
①不審物を発見した場合、不審者に関する規定と同様に対処する。
(略)

 とにかく、私は刑事訴訟法222条1項は大嫌いなのでこれ以上触れません。

 最後は俗に「戦争の放棄」や「平和主義」として知られるこれです。

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」(憲法9条1項)
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」(同2項)

 おや、最後は楽ではないか。そう思われるかもしれません。
 しかしながら、本条文は簡単に見えてすごく奥が深く、それゆえ、難しいのです。本条文の解釈論を軽く紹介します。

 まず、話を分かりやすくするため、1項を簡易化すると、
「日本国民は~戦争と~武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とあります。

 すなわち、これは国際紛争を解決する手段でない、もっと言えば自衛戦争なら、認められるのではないか、とも思えます。
 一方で、「国際紛争を解決する手段」と書いたのは一般的にそうであるからであり、特に深い意味はなく、依然、自衛戦争も含め放棄していると解釈すべきいう反論があります。
 さらに、2項で「国の交戦権は、これを認めない」と記載されていることから、1項の結論がどうであれ、結局のところ、憲法上、戦争をすることは認められないという意見もあります。
 また、2項の定める戦力不保持については「前項の目的を達するため」という条件付きでとも思える文言が付されており、この解釈も議論になります(以下略)。

 このように、一見簡単に見える条文でも法解釈というのはすごく難しく、大前提として日本語への深い理解が要求されるのです。

 話を初めに戻しまして、法学部に留学生が全くいないわけではありません。
 もっとも、彼らの多くは日本人と遜色なく日常会話をこなすレベルにあり、逆に言えばそうでない限り、授業についていくのは厳しいのだと思います。
 そんな彼らには尊敬の念を抱きますし、留学生の少なさという話題から改めて法学の難しさであり、日本語の言葉一つ一つから生まれる奥深さを感じます。

冒頭写真:Pixabay(2023/11/14)


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