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【法学部】感情の論理化こそ法律学の神髄

 「好き」「嫌い」という言葉が多用されるように、人々は日々自分自身の感情に基づいて判断・行動しています。しかし、法律学の世界では物事を「好き」、「嫌い」といった主観論だけで判断することはできません。

 具体的に、10対0で片方が悪いといったトラブルはそう裁判沙汰にならないでしょうから、裁判になった場合、原告・被告双方に何かしらの言い分があります。
 しかし、「あいつのせいだ」「お前が悪いだろ」というように感情論を法廷で戦わせても合理的な解決策は導き出せません。それゆえ、法律を学ぶには論理的思考能力が必須なのです。

 ただ、何も感情論で戦うことが全て悪いわけではありません。事実、人間は感情あってこその生き物ですから、それを完全に排除してしまっては納得のいく解決にたどり着くことは難しいでしょう。

 それゆえ、法的に考えるといっても、単に論理を立てるのではなく、「感情」を前提にした論理を立てていくのです。

 例えば、殺人と聞くと皆がやってはいけないことだと考えるでしょう。しかし、「やってはダメ」というだけでは「感情」論にすぎず、殺人を否定する客観的な理由にはなりません。
 もっとも、パッと殺人を否定する客観的な理由が思い浮かばないからといって、殺人肯定論こそ正しいと考える人はいないはずですから、やはり殺人はいけないものに違いありません。

 そこで、殺人の是非について、「人殺しはダメ」という感情を前提に、(例えば)「社会の主体たる人の生命は守られるべきであるから」という論理を立てて殺人を否定するのです。

 さらに、具体論に入ります。例えば、法学部の社会・政治色が強いゼミでは原発の是非といった問題を扱います。
 そういったゼミに入る人はそれぞれがかかる問題について自身の考えを持っているでしょうから、「とっとと原発再稼働すべきなんだよ」「うっせーな。あんなもんダメに決まってるだろ」といった感情論をぶつけ合っていては議論が進展しません。
 それゆえ、個々人の原発の是非に関する感情を基に「電気代の抑制策として有効だよ」「安全性に疑問が残るよ」といったように論理立てて論議していくのです。

 このように、法学部では「感情を論理化する」能力が求められます。普通に生活しているとあまり使わない能力ですから、最初は脳が疲れるかもしれません。
 しかしながら、自分が思っていることを万人が納得できるように構成する能力は社会に出てから必ず役に立つと思います。そんな法曹志望か否か関係なく有用な能力を身に付けられるところが法学部の1番の魅力かもしれません。

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以下、余談になります。
(本記事は第一次的には高校生への法学部紹介記事ですので、明らかな自論は本論と区別して書きます)

 今話題のAIは論理立てることが得意です。一方で、生き物ではありませんから、人間らしく判断することは難しいと思います。
 また、人間を除く動物も豊かな感情を持っているでしょう。しかしながら、人間のように高度な論理を立てることはできません。

 このように、AIも動物も感情・論理双方は持ち合わせていません。そうだとすれば、「感情を論理化」できる能力を持つのは依然人間だけとなります。とするならば、裁判でAIを補助的に使用するのはともかく、AIに完全に任せるのは合理的かつ納得のいく判決を導き出す上では難しいのではないかと思います。

冒頭写真:pixabay(2023/5/27)

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