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ルーティンは程々に

ルーティンは苦しくないか。

ルーティンは課すものなのか、それとも自然に繰り返しやっていたことの後付けなのか。  

自身から人間味を奪っていたのはルーティンだったような気がする。

ストイック過ぎたのであろうか。

ルーティンの量が多すぎたのか。

それは会社員の時から今日までもそうであった。

ルーティンの合理性、継続性を大いに取り入れ、これこそが生産性を上げる基礎だと信じ込んでいた。

今でもそう思っているが、同時に自身の精神を蝕んでいたのではないかと、ふと感じた。

毎日、決めた行動を日課とし、それを継続して繰り返すことは気合いが必要であった。

体調も良くない時もあるだろう、疲れている時もある、精神的に辛い時もあれば、自分以外の心配事も起きる。

それでも平等にルーティンはこなさなくてはならない、と思っており、自身に課していた。

たとえ自身が好きなことに対してでも同様である。

そのルーティンが長じて我慢となってしまえば、好きなことも辛くなってしまうだろう。

ではどう向き合っていくべきなのか。

やはり健全なのは、自分の心と向き合いながら、無理せずゆるゆると継続できることが最良だと感じた。

そして他人の目を気にせず、自身の心に正直に、自分のペースで続けていくことが大切ではないだろうか。

ルーティンが枷となったら、長続きはしない。

知らぬ間に疲労を溜め、突然症状として自身に襲い込みかねない。

その代償は思ったよりも大きいと思っている。

自分ではルーティンを取り入れることを得意と思っていたが、もしかしたらひどく下手なだけかもしれない。

ルーティンを進行する上、繰り返せば繰り返す程、ゆとりを失っていったのだろう。

そしていつしか、ルーティンをこなすことが目的と変換されていたのではないか。

これでは本末転倒である。

楽しい生活、そして本来の目的を失わないためにも、改めて、焦らず、自分のペースを大切にしようと心掛けたところである。



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