ルーティンは程々に
ルーティンは苦しくないか。
ルーティンは課すものなのか、それとも自然に繰り返しやっていたことの後付けなのか。
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自身から人間味を奪っていたのはルーティンだったような気がする。
ストイック過ぎたのであろうか。
ルーティンの量が多すぎたのか。
それは会社員の時から今日までもそうであった。
ルーティンの合理性、継続性を大いに取り入れ、これこそが生産性を上げる基礎だと信じ込んでいた。
今でもそう思っているが、同時に自身の精神を蝕んでいたのではないかと、ふと感じた。
毎日、決めた行動を日課とし、それを継続して繰り返すことは気合いが必要であった。
体調も良くない時もあるだろう、疲れている時もある、精神的に辛い時もあれば、自分以外の心配事も起きる。
それでも平等にルーティンはこなさなくてはならない、と思っており、自身に課していた。
たとえ自身が好きなことに対してでも同様である。
そのルーティンが長じて我慢となってしまえば、好きなことも辛くなってしまうだろう。
ではどう向き合っていくべきなのか。
やはり健全なのは、自分の心と向き合いながら、無理せずゆるゆると継続できることが最良だと感じた。
そして他人の目を気にせず、自身の心に正直に、自分のペースで続けていくことが大切ではないだろうか。
ルーティンが枷となったら、長続きはしない。
知らぬ間に疲労を溜め、突然症状として自身に襲い込みかねない。
その代償は思ったよりも大きいと思っている。
*
自分ではルーティンを取り入れることを得意と思っていたが、もしかしたらひどく下手なだけかもしれない。
ルーティンを進行する上、繰り返せば繰り返す程、ゆとりを失っていったのだろう。
そしていつしか、ルーティンをこなすことが目的と変換されていたのではないか。
これでは本末転倒である。
楽しい生活、そして本来の目的を失わないためにも、改めて、焦らず、自分のペースを大切にしようと心掛けたところである。
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