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嫌いになった建築から学べたこと

こんにちはこんばんは!
エッセイ風なやつ。大学をやめようと数回思っていたので、それを書きます。


先に結論を書くと、建築学はもう一生やりたくないけど、そこから学べたこともあった、ということです。嫌いになったものも見ようによっては学びになった、そんなもんです。


わたしはつい最近まで大学生をしていましたが、無事卒業できたようです。よかった!
この4年間は、長いようで短くて、とてもじゃないけど、楽しいとは言えませんでした!!
そんなひとが、なんやかんやしたけど大学乗り切ったよというはなしです。


ひたすらに合わなかった

わたしは建築学科に進んだのですが、もうここが非常に合わなかったです。理由は後述します。
下調べは大事と聞きますが、ほんとに学部学科ってそうだと思いましたね…

そこの高校生!もしこれからなら他人事と思わず、どんな授業があるかとか、自分の好き嫌いを洗い出しておくんだ!生きて20年も経ってないのに好き嫌いが分からないのは当たり前なんですが、就活の時とかに自分を理解する考えの手助けになるはずですので。
ぶっちゃけ行かなきゃ分からない部分もあるけどね~。

わたしはそれが出来ていなかったので、この四年で苦手なことに気付かされたという感じです。
イラストを描くのだけ取り柄だった人間、2D(イラスト)・3D(建築)のこと・アートとデザイン を混同していた!めっちゃアホです。

たしかに学びは得たけど、結構ハードな方向に突き進んだ気がしますね。できればもう一生こんな思いはしたくない!


•設計課題のこと
まずはこれです。とにかく課題の多さに圧倒されます。
ドラマとかで無意識に擦り付いているような理想的な大学生活といったものはない…。

建築学生って、いつ出会っても課題に追われているんですが、これは毎週のチェックがあるからですね。多分。

先生に見せられる程には先週を上回る必要があるし、なにより締め切りが1ヶ月後とかなので、日付が近づかないと実感がないです。
計画的にやってないと、提出できる状態までに終わらないって地獄を見ます。

ただこれが不思議なことに、計画的にやってても終わりません!マジです。絶望的〜!
終わらない理由はちゃんとあって、”課題の完成が存在しないから”です。多分美大の人たちも同じではと思ったり。


レポートだったら(内容は置いておいて)何字とか、数学だったら式の答えや過程をイコールの後ろに書けば終わりです。歴史の試験とかは、誰かが見つけてくれた知識を流れで覚えて答える、がオーソドックスだと思います。ちょっと詳しくなさすぎてすいません。


こうじゃないのよ!建物だと答えがない!
他の学部が分からないので、研究も多分答えのないことを探しに行っているとは思うけど、どうなんでしょうか…?

こういう建物でという指定や法規の制限はありますが、それをふまえても、私たちが考える空間に答えはないように思います。
これだから、みんな終わらないってなります。

答えを学生なりにでも作り出して、論理的に建築で答えないといけない課題なんですよね。
この場所は人をこう取り込む動線作ってこういうところ、とか、ここに壁があるのはこういう意味とか。そんなことやあんなことを、1ヶ月ちょいで形にまとめあげるので、ほんとに文字通り骨が折れるのです。



あと提出って、図面などをまとめたプレゼンボード(プレボ)と模型なので、到底紙一枚で済まされるもんではないです。写真とかはすべて破棄してしまったので、実物なくてすいません!!(闇…)



結局量はどういうこと?となる人はいると思いますので、例を挙げると、”それなりの量のレポート課題を毎週5つずつ1ヶ月以上課されている感じ”だと思っていただければ…?



•課題とそれに対する感覚

先生方も当たり前のように、”徹夜しなきゃ終わらないよね”、と言うような雰囲気がありました。

多分このおかげで、世にある建物はあんなに早く建てられるのだと思います。そういう環境で学ぶので、出てくる人たちも慣れているし、きっとこの業界自体がどうしてもこうなりがちなんだろうな。

わたしからしてみれば、とにかく異様なものだったので、これに苦しむことになりました。
結局全ての課題でオールはしなかったし、制作は妥協のしまくりのへなちょこ学生です(ほんとに先生方にはどう思われていたか見せる顔もない…お世話になりましたありがとうございました…)。



と大雑把にはこんな感じで、課題の多さに嫌気がさす&自分の想像以上に立体が掴めなかったこと&異様な空気に疑問が止まらなかったことで、とても簡単に落ちぶれました。


また、序盤でも触れましたがアートとデザインを混同していたのもありましたね。
アートは自分が軸で、デザインは他の人が軸に、いったところでしょうか?ひとつの解釈としてはこういうように分けて差し支えないかな?

デッサンはやる気もあって、むしろ生きがい授業だったんですが、模型がてんでだめで。ここで頑張ろうとなるのが本当のできる人だと思いますが、もうとにかく元気がなかったのを覚えています。



編入も考えたけれど

そんな建築学科ですから、年々学生は居なくなってます。マジでほんとに人が減ります。わたしみたいにギャップに驚いて、でもわたしと違って早々に舵をきった人をみてきました。先週まであの子居たよね?がざらです。

そんなわたしのところでは、建築といってもデザイン以外にも分岐できました。
ここでなにを思ったか、「建築、まだ好きになれるかも!」と微かな望みをかけて、薄々嫌いになっていたのにしっかりデザインを選びました。ちょっといい子ちゃん精神が残っていたのかなあ。

結局のところ、得意分野にも、好きの範囲になることもなかったです。


ここで、2年生あたりに、編入制度なるものを知りました。遅い〜!
もうこれの勉強をしようかなとも思いましたが、編入先も特に学びたい!っていうところもなくて。
今思えば本当に逃げたかっただけなので、軸もブレブレだし、行動にまで起こしてないんだと思います。

長期休みと趣味のお絵描きだけのことを考えて、なんとか乗り切ってしまいました。逃げるは恥だが役に立つ…んでしょうけれど、逃げも勇気がいるもんだと思いました。


ほんとにやめかける

ぶちのめされまくっていますが、追い打ちをかけてしまった。

とある学期に、必修授業を取り忘れるという大ミスをやらかします。長期休みで気が緩んでるから…ほんとに気を付けた方がいいです…気を付けよう履修登録。

もうこのときは大学辞めてやろうかと本気で泣きながら考えました。学費ももったいないし、こちらのモチベがなかったので。

結局、予備期間?に救われたんですが、マジで履修登録でこんな優しいのは珍しいので、本来なら多分辞めてたと思います。


結局のところ、いつかに活きるかも

4年は設計課題もせず論文で終わりました。
正直、周りのモチベとの差や嫌いになってしまったことに耐えられず、さくっと今度こそは逃げました。
論理的な文は書きなれていないし、本は目が滑るというところから、それなりのものができて、ほっとしています。


授業では設計優秀者で発表することもなく、論文も優秀ではなかったですが、それなりになんとかなりました。

学んだことかどうかはわかりませんが、苦手なことを4年も向き合ったことにまず拍手したいです。そんなに継続力というか我慢力あったんだ。

次に、締め切りまでの計画力の特訓にはなりました。
優秀な設計はなにひとつ目指せなかったですが、提出時間にはきっかり守ることだけは目標だったので。追われる環境、ストレスはかかりますが多少は動ける人のようだと分かりました。

最後に、デザインとアートの違いは、しっかり自分の中で落としどころがついたので、今勉強しているものに役立っています。


ほんとに、この三つはごく小さなことだと思いますけど、私からしてみれば賞賛と拍手の産物なんですよね。
今でもあのときああしていればと思うことはありますが、きっと何かに役立つんだろうと思ってみることにしました。

あと注意!!これは建築学科のネガティブキャンペーンではないです断じて!
建物などに興味や好きがあればいいんだと思います、わたしはこんなんでしたが、好きなら続く学問だと思います、多分。
立体が好きな人も素質はありそうなのでぜひ(偏見じゃない??)。
嫌いと決めつけるのはわたしの悪い癖なのですが、まず体験してからじゃないと、とも思うので。


泣きながら模型を作っていた日が、何かに役立ちますように。

ではでは!おわります~読んでいただき、ありがとうございました。

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