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全ての道はローマに続くと信じて突き進む。

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1997年未知なる国イタリア🇮🇹一度も行った事もなかったが、恋してしまった。イタリア中毒になるまでの病中日誌。
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21褒め上手は1日にして成らず!

21褒め上手は1日にして成らず!

ずいぶん前の話しになるが2006年公開の「幸せのちから」で来日していたウィル・スミスが、自分の息子が劇中でも息子役をしておりインタヴューで”彼は役者としてすばらし才能と実力を兼ね備え尊敬に値する”と答えていた。

ある報道の記事を読むと”息子べた褒めの親バカぷり!”と書いてあった。確かに日本人の発想にはない発言だ。
謙遜と卑下を繰り返している日本人にはない感覚かも…
不出来な生徒の私にさえ、褒

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20黒船II様Marco

20黒船II様Marco

やっぱり、勇気がいる。初対面の人にTELするのは・・・ドキドキする。
でも、黒船様カッテリーナの時よりは、すんなり出来た。
私も外国人慣れしてきたのかな・・・(笑)
今度のレッスン場所は、某Mバーガー。
マルコは、日本語覚えたいから、「タダ デ イイヨ」と言ってくれた。
私はまるで小1レベルのような伊語の日記が課題でした。(朝7時に起きて、仕事に行き、夜ご飯を食べて寝ました。とか・・・)
それを

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19一期一会とコスモポリタン

19一期一会とコスモポリタン

1998年…
それは、突然やって来た。
「ワタシ ライゲツ アメリカ ニ カエル」

寝耳に水だ・・・・
せっかく、黒船様の罵倒にも慣れつつ、外コンである私を楽しみつつ、黒船様と呑みにいったり、
伊語CDを貸し借りしたりと、友情を育んできたのに・・・・
伊語は、誰から習えばいいの?

「なんで?ホームシック?さみしいよぉ・・・」と言うと・・・

「ウン~~ニホンゴ デモ イタリアゴ

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18イタリア中毒、同病愛憐れむ。

18イタリア中毒、同病愛憐れむ。

20世紀の地元ではイタリアは、アンテナを随時かなり立てておかないと入ってこないという情けない(笑)有様でした。

イタリア語なんてやっているの私ぐらいだったから。

NHKのTVイタリア語会話
”おもしろいから見て”と友人に言って、イタリア語の普及に努めてみたが、失敗に終わることが多かった。

その原因の一つに番組の時間帯があると思う。

週2回の放送ですが、
教育テレビ=火 午前0:

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17賛美?belloの魔力

17賛美?belloの魔力

初夏の気配が、心地よい頃
チョッとした挨拶や動詞の活用ルールが分かり始めた時の事
私に黒船様が、伊語で質問されました。
”Che cosa fai oggi di bello?”
直訳すると「今日はどんな美しいことするの?」となります。

当時、私は、額面とおり受け止め、その質問に答えようと頭をフル回転させていた。

「美しい事?」

日本の四字熟語で言うところの”一日一善”みたいな事なのか

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16日本を知らない私。

16日本を知らない私。

花火大会があるから行かない?と
黒船様に誘われた。

「ウミ ノ ウエ ハナビ ミマショウ。ワタシ ノ トモダチ フネ カリタ ユカタ キテ イキマショウ。
ユカタ キレマス?」

そんなもん、いつも保管から着付けまで母まかせ。
たたむのも私にとって、難しい事。

「私はいつも 母に着せてもらう」と言うと・・・

「ナンデ?キモノ ニホン ノ フク ナノニ キレナイ?」

なに

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15前途多難。

15前途多難。

私の黒船さまと少し打ち解け?戯れごとも言えるようになりつつあったあるレッスンで
「イタリア語の名詞に♂とか♀とかあって、面倒くさいよう!!!日本人には不利だよ!!!」って。

でも彼女は
「ニホンゴ ハ メイシ ノ カツヨウガナイ。
デモ、モノニヨッテ スウジノ ヨミカタ カワルシ メイシ ニ ヨッテ カズノカゾエカタ チガイマス。
ワタシニトッテ ソレノ ホウガ ムズカシイ

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14続カルチャーショック

14続カルチャーショック

私の黒船様は、ここから本領発揮だ。

とりあえず、出席者着席し、乾杯とプレゼントのお渡しの儀式を行った。
みんなどれもキレイに包装されていた。

しかし、黒船様はウルトラマンの怪獣の様に豪快に大胆に破壊しながら開けていかれる。

話しには聞いていたが、ライブで見るの初めてだったから”リアルにやるんだぁ!”とびっくり!

日本人が綺麗に折り目正しく包んだ苦労はなんだったんだろうか・・

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13カルチャーショック

13カルチャーショック

2016年の一番人気のドラマじゃぁないけど…
20世紀の私の、ファーストカルチャーショックも…

私の黒船様は、8月がお誕生日
そのパーティに誘われた。

プレゼントは、何が良いかすごく悩んだが、
やっぱり日本らしいモノでしょう!と思い・・・扇子にした。

それを手にパーティの場所に向かった。
そこは、ここに住んでる外国人に人気のバーとクラブがミックスした様なお店だった。

彼女は、も

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12島国根性から脱却せよ。

12島国根性から脱却せよ。

季節が移り変わり、すっかり春模様。
黒船様の罵倒にだいぶ慣れ、ちょっとはAmicizia(友情)も築き始めたある日

春風と共に優しい光が窓から、私の黒船様カッテリーナに差して来た。
彼女は、その瞬間栗毛が金髪に変わった。おまけに、腕の毛も・・・

「スパーサイア人かおまえは!」と思った瞬間、黒船様と目が合った。

彼女の瞳孔が、キュウ~~~って小さくなった。
知ってるさ、知ってるさ

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11インターナショナルって?

11インターナショナルって?

20世紀の私は、まだまだ旧式タイプのイタリア好きでした…(笑)

外コンの私はいつまで経ってもレッスンの時はキンチョーしていました。

毎回テープ(←20世紀だったからw)にレッスンを録音していた…復習のため聞く。

それはまさに針のむしろ…

伊語って本当に面倒くさくって、動詞は主語によって活用するのです。

これはNHKのTVを見て知っていたので、部屋に書いて貼っていたにもかかわらず・・・

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10ビビりの私。

10ビビりの私。

1998年2月いよいよ記念すべき第1回イタリア語レッスン。
JRに乗り約20分待ち合わせ場所に着く。
やはり日本人としては、手ぶらは辛く、春の訪れを感じさせる薄いピンクのチューリップを、
お土産に待っていた。
「私のことわかるかな?カッテリーナの事わかるかな?」
金髪が来た!あれか?と思えばただのヤンキー・・・・

そこへ、ヤンキーには醸し出せない美しい栗毛の人が歩いて来た。
色も白くて、私には後

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9外国人コンプレックス。

9外国人コンプレックス。

20世紀の私は…外国人に慣れてなかったなぁ…そういえば…(笑)

↓前回のつづき
”へっつ へっ へぇろぉ・・・・?もっもっもうだめだ・・・えいごだぁ・・・”

ーーーーーーーーーーーー沈黙っていうか沈没ーーーーーーーーーーーーーー

米英には戦争で、撃沈されし・・・・・・・・
でもココはITA好きパワーだ!
勇気だ!ガッツだ!根性だ!女は度胸だ!!
「も、もしもし えっえっと きゃ、キャ

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8国際交流。

8国際交流。

あの頃イタリア留学に淡い憧れを抱く私は、そろそろ期限が切れるので、パスポートセンターに行った。そこには、国際交流の掲示板があって、
何かに吸いつけられるように、足が向いていました。
沢山の張り紙があり、「英語教えます」は無論、中国語や韓国語もありましたが…

ひときわ輝く、張り紙を発見したのです。
”Let’study in Italian. I teach in Italian."
と、英語で、

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