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ボランティアと仕事のあいだ 〜キャリアのかたち〜

毎週テーマを決めて、みんなでnoteを発信するキャリコンサロン編集部マガジン、今回のお題は #ボランティア 
最後までお楽しみいただけたら幸いです。

ボランティアの立ち位置

そもそも、ボランティアの定義はなんだろう?

個人的なイメージとしては、「無償の労働」かなぁ
なんとなく後ろ向きだけど。

検索すると、厚生労働省の「ボランティア活動」についてのページがヒットした。

ボランティア活動は個人の自発的な意思に基づく自主的な活動であり、活動者個人の自己実現への欲求や社会参加意欲が充足されるだけでなく、社会においてはその活動の広がりによって、社会貢献、福祉活動等への関心が高まり、様々な構成員がともに支え合い、交流する地域社会づくりが進むなど、大きな意義を持っています。                   厚生労働省ホームページより

つまりボランティアとは、その活動が社会にとって(他人にとって?)有益であるという条件下において、個人が活動の見返りとして、金銭ではなく、自己実現欲求や承認欲求の充足を得られる、ということか。

「自己実現欲求」「承認欲求」と言えば、マズローの自己実現理論、欲求5段階説を思い出す。

マズローの自己実現理論を考える

ワークモチベーションを語る中で、いちばん有名な理論は、これだろう。
アメリカの心理学者アブラハム・ハロルド・マズローは「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を5段階のピラミッドになぞらえ、低次の欲求が満たされることで、上位の欲求が高まっていくという心理的行動を「欲求の5段階説」として唱えた。

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生理的欲求とは、生命の維持を可能にするための寝食や排泄の欲求。
安全の欲求とは、病気や不慮の事故から身を守る欲求、それに関連して最低限の社会的生活を営むための経済力も(特に都市部では)安全の欲求と言えるだろう。

これら肉体的欲求が満たされてはじめて、ひとは自分自身の「生き方」や「キャリア」について思いを馳せることができる。

先の厚生労働省ホームページの言葉を逆説的に再解釈すると、生理的欲求や安全の欲求は「無償の労働」では満たせない。
きちんと食べて寝て学び、人が社会的な存在として生活するためには、お金が必要だ。少なくともわたしはそう思って生活している。

一方で、マズローがいうところの「所属と愛の欲求」、「承認の欲求」、「自己実現の欲求」は必ずしもお金が必要とは限らない。
社会人として他人に関わることができれば、その欲求を満たすことは可能だ。

そして、誰かに必要とされ、自分に価値があると実感できるのは、とても大切なことだ。その欲求が満たされてこそ、ひとは自分の人生を生き、幸せになることができる。

ボランティアから始まる、わたしのキャリア

思えば、わたしのキャリアはほぼボランティアからはじまっている。

20数年前のわたしは、キャリアなんてことは考えもせず、結婚してあっさり退職した。わたしの全世界は家庭内で、社会人としての生活は皆無、専業主婦で専業母親だった。
長男が小学校に入学する頃、狭い世界で生活することに飽き飽きして、友人の紹介で週3日のアルバイトを始めた。大学事務の仕事だった。
社会貢献なんて気持ちは全くなかった。遊びが半分、社会復帰にはちょうどいい塩梅だった。
それでも、自分が食べる分くらいは自分で稼げる、という自信は、それまでふわふわしていたわたしの意識を少し変えた。

それと同時に始めたのは、次男の幼稚園のPTA活動だった。
これがわたしの初めてのボランティア活動と言えるかもしれない。

クラスの役員を決める保護者会の日、周りのお母さんたちはすでに面識があるようでいくつかのグループができ活発におしゃべりをしていた。
子供のクラスで車座になって座りこれからの園での生活について説明を受ける。
先生がPTA役員の説明を始めると、全員が下を向き決して目を合わせない。

経験がある方にはお分かりいただけると思うが、あの空気感は独特だ。
真剣勝負のハンカチ落としをイメージする。

そんな中、わたしはぼんやりと先生の顔を見つめて説明を聞いていた。
なぜなら、我が家が転勤先から引っ越してきたのは入園式の2日前だった。
園のこともこの土地のことも知らないわたしは、役員として戦力外だと、妙な自信があった。
それよりも、ひとりぼっちだったわたしは、これから息子が生活する環境をしっかり観察しておかなければ、という気持ちしかなかった。余裕がなかったのだ。

しかし、当然のように先生はわたしをロックオンした。

正直、面倒だな、と思ったけれど、バイトもそんなに忙しくはなかったし、息子が遊ぶ姿を遠目に見られるのは面白そうだと思った。
何よりも、息子がこれからお世話になる組織に意見を述べられる存在になるのは、悪くないと思ったのだ。

思った以上にイベントが多いのにはびっくりしたが、先生方や他の役員のお母さんたちと相談して一つ一つ作り上げるのは楽しかった。
企画書を作り、みんなにプレゼンしてボランティアを募った。
時には、園児たちにも「アルバイト」で参加してもらった。誇らしげにお手伝いをする子供たちの可愛らしい顔が懐かしい。
イベント終了後には、改善点を園長先生とも話し合った。
小さい組織だから出来たことではあるけれど、自分の働きで、子供たちやお母さんたちの楽しそうな様子を見られるのは、快感だった。

今まで経験したことのない、「承認欲求」が満たされるのを感じた。

ボランティア活動の報酬

次男の幼稚園でのPTA活動に気を良くしたわたしは、数年後、長男の中学でも役員に手を挙げた。
この時は、ハンカチ落としで負けたからではなく、自ら手を挙げたのだ。

結論を先に言ってしまうと、息子が卒業するまでの6年間、わたしはこの学校で役員を務めた。
生徒や保護者など関係者のために毎年講演会やコンサートを企画運営した。
6年目には、息子がずっと憧れていた自動車デザイナーを呼んで講演会を開催した。これを目標に頑張ってきたので、達成感はハンパなかった。本当に嬉しかった。

そこまで入れ込んだのは、息子が受験を経て入学した思い入れのある学校だったから、というのもある。
だがそれ以上に、役員として活動することで学校のことをもっとよく理解し、微力ながら学校のために貢献できる、という自信が湧いてきたからだ。

わたしは保護者は学校の株主のようなものだと思っている。
大事な子供たちを預ける組織は、良い環境であって欲しい。
そのためには、少しでもその価値が上がるようにやれることをやりたい。
もちろん、無償の労働ではあったけれど、自分の息子を筆頭に多くの人に喜んでもらえた。そしてたくさんの素敵な出会いや経験をする機会をもらえた。
後悔はない。

わたしのキャリアのかたち

PTA活動に熱意を燃やす一方で、仕事も続けていた。

PTA活動で身につけた関係者を巻き込む技術は、仕事にも生きていた。
そして報酬をもらって行う仕事の経験は、ボランティアをより実践的で価値のある活動にする助力になった。

20年前、何の実績もないわたしが唯一持っていたのは、手を挙げる勇気だった。
文字にするととても小さなことだが、狭い世界で自分自身を誰にも知られることなくひっそりと暮らしていたわたしが、説明しようのない焦りや自己憐憫みたいなものから自由になり、自分の「生き方」を自分で考えるきっかけになった重要なアクションだ。

正直言って、報酬が発生しないような活動は社会的な意義がないんじゃないかと思っていた時期もある。

しかし、結果論ではあるけれど、今わたしがフリーランスという形で仕事ができているのは、あの時手を挙げてやってみたことから繋がっている。
そして、偶然か必然か、昨年からは副業ではなく転職でもない「プロボノ活動」に関わる事業にジョインしている。
仕事以外のサードプレイスを求める人たちの力になれたらとても嬉しい。

そして何よりも、わたしが職歴としての「キャリア」ではなく、生き方=ライフキャリアを探求しデザインすることにこだわる礎となったのは自分がやってきたボランティア活動だった。

人生を豊かでカラフルなものにし自己実現を図るステージは仕事のシーンだけではない。

それらを手に入れるためにまずは動いてみることをおすすめする。
重要なのは、リターンの形式に拘らないこと。自分の中にやりたい気持ちがあるならば、それで十分だと思う。
一度やってみると、意識のハードルが下がる。
続けていると、経験が自分を育ててくれる。

あくまでも、一例ではあるけれど。


#ボランティア #キャリア #ライフキャリア #私の仕事 #キャリコンサロン編集部 #PTA活動

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