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僕の心を、白色に戻してくれるもの。

僕は、人間が好きだ。
それも人間らしい人間が好きだ。

目の前にいる人がどういうことを考えてるかなど、どんどん気になって聞いて言って、その人の世界の中に入っていく。

森の中に探検に行くような気持ち。



僕は、好奇心が旺盛だ。
なんでだろう?と思うことが多くて、そういう疑問や違和感をきっかけにどんどん調べたり、聞いたり、考えたりする。

たくさん、気になることを捕まえて、
そのことについて分かるまで、納得するまでとことん調べる。

虫取りをしている時みたいのような気持ち。



僕は、今起こっていることを1歩引いてみることが好きだ。
ここでは、なんでこういうことが起きているか。
そこにはどんな人がいて、どういう思いがあって、営みがここにあるか。

そんなことばかり考えている。

物事は、上流から下流に流れていくみたいだ。
そう思っている。
お金やつながり、プロジェクト様々なものには、流れがある。

湧き出るところがあり、最後にはどこかに流れ着く。

僕はいつもそういうことを意識している。

川の中で流れを感じたり、流れを見ている気持ち。




ぼくは、最近思う。
頭で考えて分かることだけが正当化されていることに対してすごく違和感を感じる。

考えることよりも、感じることが大切ではないか。

どっちも大事だと思うんだが、今の僕達現代人は、感じることを忘れている気がする。




僕は、白色が好きだ。
でも、白色はすぐ汚れちゃう。
小さなきっかけで染まっちゃう。

だからこそ、染まってしまったものを綺麗に、白色に戻してくれるものがすごく大事だと思う。



僕は、自然が自分自身を白く戻してくれるものだと思う。
自然の意味について改めて調べてみた。


自然(しぜん・じねん)
自然の「自」は「おのずから」「みずから」の意味、「然」は「そのとおり」「そうである」の意味で、自然は本来のままであることを意味する。
そこから、海・山・川・雨・風・水・土・石・木・草などの外界や環境、そのものに本来備わっている性質、わざとらしくないさまなどを意味するようになった。


そう思うと、僕達は自然との関わりを大切にしなければならないのではと思う。
それが僕たちを美化してくれるものであり、本来の姿に戻してくれるものだ。

僕たちに色んなことを教えてくれる自然との距離がすごく遠い。
子供の時関わりがあっても、大人になれば自然との関わりが減ったり無くなる。
もともと小さな頃から自然と関わらない人が増えている。

相当前の記事だが、今にも通ずるものがあるだろう。


僕は、そんな自分自身を本来の姿に戻してくれる自然との関わりが、日常の中にあるべきだと思う。

そういう生き方ができるようにしたいなと、
大好きな白色の心を持つ友達と話してて思った。


心や体の不調は、自然が整えてくれるのかもしれない。
僕は本来の、人間らしい生き方について考えていく。

山、川、田んぼ、神社
そんな当たり前のようなものだけど。
それらがある環境ってすごくいいと思う。




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