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流星都市発

 シンギュラリティ(技術的特異点)でも起きて、とっとと労働から解放されたいと願わんばかりの日々。早く河川敷の土手で釣りをして短歌を詠むだけの太公望みたいな生活がしたい。おちおち2045年まで待ってなどいられん。

 2045年というと私は所謂アラフィフと呼ばれる齢になっているが、果たして世界はどうなっているのだろうか。新型コロナはおよそ350波目くらいだろうか(そこまで行くともはや新型ではない気が)、イルカは攻めて来ているだろうか、まだアホみたいに電車は混んでいるだろうか。その前に私は生きているだろうか。

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 転職して早5か月が経った。いよいよ仕事らしい仕事を任せられるようになり、自分の裁量権とキャパシティが少し拡大されたような、そんな気がする。

 最近はよく帰り道の電車でORIGINAL LOVEの「流星都市」を聴いている。長い長いこの帰り道を彩る私の退勤ソング。私はこの曲が積水ハウスあたりの住宅メーカーのCMソングだったような記憶があるのだが、そのような事実はないようだ。似たような曲を思い違いしてるのだろうか。それにしてもこの曲の歌詞は、住宅メーカーのCMソングにピッタシだと思うのだが…。このnoteがどこかの広報担当の目に留まることを願う。

 そんな流星都市を聴きながら発車待ちをしていると、流星のようにキラキラと輝く街を横目に電車は走り出すのだ。銀河ステーションや賑わうダンスホールを背に、流星エキスプレスは君の待つ家を目指してこの家路を走っていくのだ。

 途中で電車は大きな川を超えるのだが、その川沿いの道路にいつも踏切待ちの車が列を成している。窓側の席に座っているとその車たちのヘッドライトが紡ぐ光の線が遠くから徐々に見えてくる。夜空に向かっていびつに伸びたその光の線がちょうど自分の目の前に来た時、それを見つめる闇に反射した自分と目が合う。

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 相も変わらず目が死んでいるが私の目は奥二重なので鑑賞に耐え得る。最近は髪も伸びてきて理想のヘアスタイルに近づいてきたので、鏡を見るとついつい触ってしまう癖が染みついた。仕方ない、街中の鏡に映る自分はなぜか3割増しで良く見えるのだから。

 癖というのは恐ろしく、没頭している間はほかの何事も寄せ付けない。今手に持っているのは神戸の古書店で買った100円の古本、かの有名な作家の短編集。入門編として買ってみたはいいものの、言い回しがクドイのか、私にはあまり浸透しない。少し読んではまた車窓の自分とのにらめっこして、また手元の本に視線を戻す。さっき読んだような気がする一文をまた目で追っている。何度も同じ景色に出くわす迷宮に迷い込んだ時ってこんな感覚なのだろうか。

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 大都会は、"自分"という孤独な存在を有耶無耶にしてくれる。街の雑踏の中に取り込んでは輪郭をぼやかし、その影を消してくれるのだ。
 誰にでも会えるけど誰にも会えない街、私は君の待つ家へと帰る。

 

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