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無事にロック
先週の肌寒さに震えたのも束の間、今日は溺れてしまいそうなほど暑い日だった。こう何度も気温に行き来されて振り回されている私たちはあまりにも無力。二日間リュックの中に放置されたままだったペットボトルのお茶を一口飲むと、茶葉の甘みだと言い張るには無理があるエグみが口に残った。明日以降腹を下さないことを祈る…。
相変わらずの平沢進師匠の教祖っぷりに湧いたフジロックの最終日。そなたはコロナウイルスによってディストピアと化したこの世界に舞い降りた神か?とにかく私もあの"手をかざして音を出すアレ"を演奏してみたい。手軽に崇められたい。
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こんな時代でも、心身ともに無事に音楽を楽しめることは素直に嬉しい。生配信でもサブスクでも、どんな形であれ日々音楽と共にあるのだなぁと実感したのがここ1年程の話。もちろん生で音楽を浴びられたのならそれに越したことはないが、行く予定であったライブの予定を取りやめたりと、"無事"でいるための選択肢を採ることも大切なのだろう。
この世が高度にディストピア化した管理社会になったとして、その統制下に音楽を聴くこと自体が規制されたら、そのとき、音楽は本当の意味での"カウンターカルチャー"になるのだろうか。ロックというものが本当の姿を取り戻すのだろうか。何かへの武器や反論として使われる音楽は、私個人としてはあまり聴きたくないが…。パンタロンを履いてるラリったヒッピーとは多分、分かり合えない。
あまり難しいことは考えない。考えるのは苦手だ。カウンターカルチャーとか、なんとなく言ってみたかっただけ、本当は何も知らない。耳に通してみて「いいな」と自分が思えればもうそれでいいのだろう。そうやって素直に「いいな」と思える環境、時代、感性それこそが、"無事"である何よりの証拠だと思う。
今日も明日も、どうかご無事で。
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