私がAIだったら、人に取って代わろうとは思わないって話
AIがお絵描きをする時代。
AIが小説を書く時代。
平成初期に思い描いた「こんな未来があったらいいな」が少しずつ実現してきていると感じる。
未来のネコ型ロボットが出すひみつ道具のような技術が、本当に少しずつだけど確実に実現しつつある。
自分の考えたお話が漫画になる機械。
自分の書いた手紙のお返事を予想してくれる機械。
昔ワクワクしながら見た、そんな技術が夢物語ではなくなってきた。
さすがに空間を移動したり他の時代に行ったりはまだまだできないけど。
AIの進歩に伴って、こんな声も聞こえるようになった。
「近い将来、人間の仕事が失われる」
「いずれすべての技術はAIによって管理される」
「AIが人間を支配する」
だけど私は、私の個人的な意見はね、
そんな未来は、きっと来ないと思っていたりする。
今、いろいろなAIを開発している凄い人たちは、そんな未来を創ろうとしているわけではないと思うから。
私の生活の中で、AIが関わっていない日はない。
お天気が気になったらsiriに聞くし、音楽をかけてほしかったらアレクサにお願いする。
別に、自分で天気予報を見ることはできるけど。
自分で音楽のプレイリストを開くことはできるけど。
それでも利用するのは、生活の利便性を重視するから。
siriが突然、どことも分からない地域の天気を無理やり聞かせてきたり、全く知らない音楽を爆音で延々垂れ流したりするアレクサがいたら困るけど
(私が知らないだけでそういうAIもいたらごめん)
仕事が失われる…に関しては、ある程度起こり得る話だと思う。
だけどそれは必ずしもネガティブな意味じゃないはず。
洗濯機ができて毎日のお洗濯が楽になったとか、ルンバのおかげでお掃除の手間が減ったとか、携帯電話の普及で駅の伝言掲示板がいらなくなったとか、そういうことの延長線だと思う。
AIが人間を支配しようとするなら、それっていわゆるオーバーテクノロジーというやつ?
(ルンバが人間に掃除をさせる未来を想像した)
自分がAIだったら、自分を創った存在を支配したいとは思わない。
何故と言われると分からないけど。
私は技術者ではないし、AI技術について知識があるわけでもないから、近くAIが何らかの脅威になると言われても正直ピンとこない。
言葉が正しいか分からないけど、AIと人は共存できると思う。
それこそ適材適所、役割分担のような感じで。
ライターにとって、Chat GPTのような技術はこれからますます注目すべきものになるはず。Chat GPTの普及でライターを目指す人もいるかもしれない。
だけど、少なくともAIは敵にはならないでしょ、という気持ち。
私は構成が苦手なので、Chat GPTが構成を手伝ってくれたら嬉しい。
原稿の添削をしてくれる技術が発展すると嬉しい。
「ここはこういう言い回しもあるけどどう?」のような提案をしてくれたり「文法的にはこちらが正しいよ」って指摘してくれたり、参考文献をたくさん引っ張ってきてくれるAIがあったらいいなと考えたこともある。
だけど、最終的に良し悪しを判断するのは人間だとも思う。
人間の感情には、それだけの力があるんだろうから。
何だかんだ言っても、効率化大好き人間にとってAIは良きビジネスパートナーになってくれる気がしています。
#AIの活かし方
でもね、個人的にはシビュラシステム(序盤の認識)のような未来も嫌いじゃないの。
より最適で最善な未来を予想して導いてくれるAI
進学、就職、結婚相手、日常生活まで「より良い選択」が明確な世界
それこそAIによる支配なのかもしれないけど、幸福までの遠回りがなくなるのって最大の効率化じゃん、って思ったりして。
「いやいやいやいや、そんなんで幸せになれるわけないだろ(笑)」ってシビュラに反抗するかもしれないけど
「最適解じゃなくなったって私はこうしたい」を選ぶかもしれないけど
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