見出し画像

海の落とし物



島に赴任した

 30年ほど前、小学校の先生という仕事について、最初に赴任したのは島だった。

 それまで、新興住宅地に住み、東京の大学に通っていた私にとって、全く知らない世界。
 4月に赴任して、ゴールデンウィークが始まる前には、もう子供たちは海で遊んでいた。水着になって、というほどではないけれど、ちょっと入って気がついたらお尻まで濡れてみたいな感じで…。
 初めての遠足も海だった。到着すると、子供たちは、スーパーの袋とマイナスドライバーをリュックから取り出した。何するのかな?と思って見ていたら、岩に付く1枚貝を剥がしていくのだ。ヨメガガサガイ系の貝だった。お家へのお土産でお味噌汁に入れるとのこと。私も採って持って帰った。大きいのはバター焼きにして、美味しかった。
 日本人は農耕民族と思っていたけれど、島の子は狩猟民族なんだなあと感じたのを覚えている。
 夏が近づいてくると、子供達の遊びの話も、海の話が増えてくる。タコを突いた(モリみたいな子供用の道具で)とか、桟橋でサバゴ(鯖の子供)を釣ったとか。

自主遠足

 お金を払って遊びに行くところがない島では、自分たちで楽しいことを作り出すしかない。そこで子供たちがしていたのが、自主遠足だった。
 自分達で遠足に行こうと決めたら、手書きの簡単なしおりを作り、暇そうな先生も誘って、お家の人にお弁当を作ってもらい、休みの日の朝から海や山へ行くのだ。
 私も、何度も誘ってもらった。そんな中である日の海への遠足。初めは、足のつかないところで泳いだこともなかった私だが、徐々に海に慣れてきて、ぷかぷか浮かんでいることの心地よさや、海にいる生き物を見つける楽しさを知った。
 その日は、海藻の下にいた小さなイカの赤ちゃんを見つけ、あまりの可愛さに感動していた。その後、またいないかなあと、水面ばかり見ていた午後だった。

 すると、なにやら浮かんでいるものを見つけた。えっ・・・。
 それは、千円札だった。四つ折りされて、濡れてはいたが、破れもせずに浮かんでいた。子供達に見せると、大騒ぎ。警察に届けようということになった。
 たっぷり泳いだ後、帰り道に警察に寄った。島の警察は、島の人ではないから、私達教員と同じで任期が終わると交代していく。家族で来る人も多いから、保護者として知っている警察官もいる。その日の担当は知らない人だった。どこで拾いましたか?などと淡々と聞いていく。拾得場所は「海」と書かれた。

海の落とし物

 落とし主は現れず、千円札は私のものとなった。海で拾った千円、突如海に浮かんでいた千円、なんだかすごく珍しい気がして、お守りのように大事にとっていた。
 でも、この話を思い出して書いている今、その後、千円札をどうしたかさっぱり覚えていない。6回も引っ越しをして、仕事も結婚も子育てもしてきて、この20年くらいは何かをじっくり考える暇もなかったから。
 子供が大きくなって、急に一人の時間がたまに取れるようになって、色々なことを思い出すようになった。

 千円札はないけれど、千円札のおかげで、あの日のことを覚えている。子供達と海に浮かんでぷかぷかしていた時間はなんて緩やかに流れていたことだろう。あの時は、何も考えずに見ていた海、空。何年経っても、私の心の故郷のような景色。何か心が重いときは、島の海と空を思い出すと、心の中に風が吹くような気持ちになる。
 私に届いた、海の落とし物。ずっと忘れない落とし物。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?