どうしてできないのか

※また個人的な整理のために書いています。

 今日も予備校に行けませんでした。休館日も合わせると5日も連続で行けていません。

 1日休むと行きづらくなるもので、これまで夏期講習はほぼ毎日行っていたから、余計にです。家から3分の距離が、今はとても遠いように感じます。

 どうして普通に、みんなと同じように、予備校にすら、通えないのだろう。どうして、普通に喋れないのだろう。どうして、普通に生まれてこなかったのだろう。どうして、神様は、こんな子を創ったのだろう。

 思えば昔から、「どうしてできないのか」を考え続けてきました。お隣さんの神社の前を下校のときに通る度、「明日こそ喋れますように、お願いします」と通りすがりで念じていました。昔から、おはようって言えなかったとか、跳び箱の授業で動けなかったとか、先生に迷惑をかけてしまったとか、本当にいろいろ、自分で自分を責めてきました。

 こんなのしんどすぎます。何回、「もうやめようよ」と思ったか。神様は、絶対そんなこと知りません。やるせないです。

 予備校のことが、嫌いなわけではないのですが、高専をやめなかったら、受験がないのでこんなに今苦しむことはなかっただろうな、と思ってしまいます。高専をやめなかったら、あの優しい先生たちと、まだたくさん「会話」ができた。高専をやめなかったら、大人の理不尽さに気づくのは、もう少しあとになっていた。高専をやめなかったら…

 でも、中学のときの学年主任の先生に、「高専をやめると決めてから、いろいろあって、こんにちはツアーとかしたりして、作文が読めるようになって、会話ができるようになって、と成長できたけど、もしやめると決めていなかったら、まだ前のままかもしれません。」と伝えたら、「何かを続けることで得られるものもあれば、何かをやめることで得られるものもあるよね。」と返ってきて、ああそうだなあと思いました。そして、そういう方法でしか、自分を納得させられないんだろうなあ、とも思いました。

 友達もいないので、大人にしか頼れないのも、今気分が下がっている原因の1つかなと思います。大人は仕事があるからいつでも連絡できるわけではないし、いつまでも頼っていられるわけでもないです。同じ時間割で動く、同じ学校の友達はいた方がいいかなとやっぱり思います。

 これは、いい人にたくさん出会ってきたからこその悩みなんだと思います。だから、それに気づいたから、感謝を伝えていかないとな、と思いました。

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