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私と場面緘黙症〜中3編〜

 4月、学校は始まりませんでした。始業式とその次の日に行っただけで、また休校になりました。

 2度目の休校は、寂しかったです。なぜかというと、

・担任の先生が変わって、気が合いそうな先生になったから。

・家にいたときも、先生たちからのメッセージや英語の歌のCDが届いていて(学年主任の先生は英語の先生でした)、学年の先生と久しぶりに話したいなと思っていたから。

です。メッセージには、手紙で返事も書きました。それくらい、学校がいかに大切な場所なのかを知りました。

 担任の先生について書くと、新しく来た先生で、4年目で、面白くて、明るくて、めったに怒らない先生でした。筆談って楽しい!と思わせてくれたのも、この先生です。どういうことかというと、私が書いて、先生も書くんです。筆談が難しいことだと分かってもらえた気がして、いつまでも喋っていたくなりました。

 もう、この年になると、友達づきあいが嫌になって、休み時間は本を読んでいました。それか先生と話すかです。ホットルームには、1年間行きませんでした。そこの先生が異動になったこともあるし、決まりが変わって、私のようにホットルームの登録をしていない生徒は使えなくなったからです。おそらく私が勝手に使っていたせいです。

 でも、中学生時代の中で、1番楽しかったです。卓球部最後の大会には、たくさんの先生が来てくれて、1回戦敗退だったけど、とても楽しかったです。やっぱり、担任の先生とはすごく気が合いました。

 ただ1つだけ悩んだのが進路のことです。はじめは、市内の普通校に行くと思っていたけど、だんだん普通校では生活できないのではないかと思い始めて、養護学校も考えました(結局は、60キロも離れた「高専」に決めたわけですが)。

 もう義務教育も終わりです。9年生として過ごした1年は、何も行事がなかったのに、毎日が濃く、充実していました。そして、忘れもしない3月11日、奇跡?が起こります。

 その日は高専に合格したあとでした。そして、普通校を受検する子のために昼までで終わって、そのあと、もう私立などで合格していた子で大掃除をした日でもありました。楽しく大掃除もして、帰りに担任の先生にくっついて、無理やり話をしました。

「さようならって言いますからね」

こう宣言して。

 どれほど時間がかかったのかは覚えていません。ただ確かなのは、本当に言えたということです。先生が交代して、学年主任の先生にも言えました。

 卒業したくなかったけど、良い1年でした。最後まで読んでくださりありがとうございました。

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