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障害と個性と生きづらさと

 多分バイトには落ちている。面接から1週間経っても連絡が来ない。まあ初回で受かるとは思っていないので別にいい。次回を受ける気になるのは、まだ遠いように思うけど、また調子がいいときに申し込んで、後悔する未来は見える。

 そこの面接に行ったとき、私は緘黙のことを言わなかった。緊張しやすくて話すのが苦手ですって事前に書いただけ。たくさんの人の面接を担当してる人からしたら不自然なところもあったかもしれないけど、私的には話せなくなることもなかったし、まあまあだったかなと思っている。(落ちたけど

 緘黙のことを言わなかったのは、もういいかなって思ったのもあるし、言ったら落とされるって思ったのもあるし、いちばんは、挑戦してみたかったから。

 私はこれまで、何回も話す場所とか、深く話す場合ではカミングアウトしてきた。高専でも、高校でも、ボランティアでも。それで周りの人から広められて、私をきっかけに知ってもらえたらいいなと思っているから。でも、これからの社会は甘くない。お金とか信用が関わってくると、「昔話せなかった時期があって〜」とかいう言い訳は通用しないと思う。相手は「今、あなたが成果を出せるかどうか」が知りたくて、私が昔話せなかったことは(そういう人に関わる仕事じゃない限り)関係ないのだ。それに、私が弱い立場の人なんだなって知られたら、そのことを悪用する人だっている。

 いずれはそういう世界に行かないといけないんだから、今のうちに挑戦してみたかった。自分の実力はどれほどなのか知りたかった。その結果落ちたんだけど。自分もまだまだってことだな。

 でも、こんなことを書いたとはいえ、私(たち)は理解される権利があるとも思う。周りの人に、理解しないといけない義務はないし、そのことを強制はできないけど、私たちの権利がないわけではないと思う。難しいけど。

 だから、これは私の理想だけど、緘黙とか、うつ病とか、なんでもいいんだけど、何らかの生きづらさが、その人の強みになるときが来たらいいなと思う。もちろん生きづらい。だけど、その原因と一緒にこれまで生きてきたっていう経験は少数派で、努力や工夫があってこそのことだし、それは「生徒会長になりました!」とか、「部長になって大声でみんなをまとめました!」とか、「勉強だけはずっと頑張ってきました!」とかと一緒の水準で見られてもいいと思う。その域まで到達するのは、当事者だけでは絶対にできないし、だからこそ私はこうやって文章を書いている。

 熱くなってしまった。

 私は自分の場面緘黙症のことを、他の人にはないものだと思っている。そういう意味では「個性」なのかなと思う。よく、「障害も個性だ」とか「いやそれは違う、普通に生きづらいだけだ」とかいろんな意見が出てくるけど、私はどちらにも共感する。さっき書いたような理由で「個性」だと思うし、でも「個性」にしては生きづらいだけのものだとも思う。

 補足しておくと、「障害」という言葉は「その人と、社会との間に障害がある」という意味で、「その人自身が社会の障害である」という意味ではない。だから、私はあえて「障がい」とか「障碍」と書くことはしない。その人にとっては、社会との間に立派な「障害」があるから。考えがあって使うのはいいと思うけど、字面だけで拒絶したり、何も考えずに使うのはよくないと思う。

 私は今、前髪が長くなってきたんだけど、それも「個性」だ。鼻の上くらいまで伸びている人は半分かそれ以下だと思うから。でも、目に入ったり、視界を遮ったり、それによって集中が切れたりすることがあって、前髪が短いときに比べたら少し生きづらい。前髪の長さなんて、一般的な人にある「個性」の1つだけど、そうなってみないと分からないことがある。(とりあえず早く散髪に行こう)

 だから、「障害」なのか「個性」なのか「生きづらさ」なのか、はたまたそれのうちの全部なのかどれか2つなのか、当事者が自分で考えて伝えたことは認めてもらう権利があると思う。だけど、外から何も知らない人が、「障害は個性だから!」とか、なんでもかんでも知っているように認めているように言うのはちょっと違うかなと思う。

 前髪の話に戻るけど、長い前髪もピンで留めると目に入らないし、視界を遮らない。そういう少しの工夫で、生きづらさが解消されることもある。これはその人の「個性」とか「障害」とか「生きづらさ」を否定したり蔑ろにしたりしているわけではないことを私は断言する。私は筆談が嫌いだったときがあった。喋れない自分がだめな存在だから、筆談してねって言われているような気がして。そう思うのも無理はない。だけど、筆談ができるようになると便利になって、そんなことよりいちばんに自分の気持ちが伝わるのが楽しかったし嬉しかった。話す相手も、推測したり表情だけを読み取ったりしなくていいから楽になったと思う。今、喋れるようになってから振り返ると、筆談はもともとできていた交換日記みたいに時間差がなくて、目の前で気持ちが伝わって反応を見ることができるから、話すことの1つか2つ前の段階には最適だったと思う。だから、「個性」とか「障害」とか「生きづらさ」がある人に工夫を提案するときは、聞けるならちゃんと目の前の人に意見を聞いて、違う場合は話し合って、両方が納得した上で工夫するにしろしないにしろ進めてほしいと思う。

 なんていう私の意見だけ言ってしまうのも違うと思うから、たくさん意見を教えてくださると嬉しいです。

 次の面接からは緘黙のことを言ってもいい気がする。落とされたんだったら、言わずに受かったとしても働きにくいかもしれないし、言って受かったところはそういうところよりは働きやすいと思う。誰かに言われて何も考えずに受け入れたわけじゃなくて、自分で決めたことだ。

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