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小さな自分

 いろいろあった。その中は、嬉しいことより悲しいことや嫌なことの方が多い。

 私も、今までいろいろあった。緘黙関係の出来事が大半だと思う。過去に行けるなら、小さい自分を抱き締めてあげたい。

 noteを始めて、もうすぐ2年になると思うけど、過去のこともそのときのこともたくさん書いて、まだ書いてないことはもうないんじゃないかって、思っているみなさん!(?)私、家族のことはあまり書いていなかったと思うんですよ。だって、両親(多分)が見ているし、責めるつもりはないから。

 でも、もうそろそろ、いいんじゃないかって。note始めたての私なら、「責めるつもりはない」としても、それを表現するだけの能力とか、技術がなかったと思う。今なら、誰も責めずに、昔の話ができるかもしれない。誰にとっても、いちばんいい形で昇華できるんじゃないか。という言い訳をしてから、本題に入ります。

 私は、今住んでいる市で生まれて、2歳のときは父の転勤で東京にいた。しかも港区!最先端都心幼子だったというわけ。あまり記憶はないけど、バスに乗って友達と話していた、ような気がする。そして、また転勤で元の市に戻ってきた。そこからずっと、今のマンションに住んでいる。引っ越す前、業者さんが来て片付けていると、ベビーベッドかなんかの下から、ないと思っていた、重りで転がるメロンパンナちゃんのおもちゃが出てきた。それはうっすら記憶にある。あと、両親に両手を繋いでもらって、今のマンションのエントランスに入った記憶も。「ここが新しいお家?」とか、聞いたと思う。

 そこからは記憶があまりない。弟が産まれるときに、母に会えなくて泣いていた。病院にいる母に電話をして、「だるまさんが」という絵本を読んであげた。母は「蛾」が嫌いだから、「だるまさんが」の「が」だけ小さな声で読んだ。「おかあさんといっしょ」のDVDを父と一緒に見た。

 弟が産まれて、一緒に洗濯かごに入って写真を撮った(首が座ってないとできないから、しばらくしてからだと思う)。今でも写真がある。

 プレ幼稚園みたいなところでは喋っていたらしい。そのときにいて、私が入園するときには転園していた子とは、まだ今も仲良くて喋れるから。

 幼稚園に、年中から入って、毎日泣いて行ってたし、お弁当も食べなかったし、トイレも、「いつでも行っていいよ」って言われていたのに、目線の先にはトイレがあるのに、行けなかった。先生がぞうきんと着替えを持ってくる映像がまだ浮かぶ。小さい自分、よくやったな、しんどかったね。自分は人と違うって、幼いながらに理解し始めた頃。

 最近、寝る前に思い出したことで、幼稚園の夏休みに何日か行く日があって、園庭でいろんな遊びをしていた。シャワーで遊んだり、絵の具を体に塗ったり、水着で遊ぶ決まりだったかもしれない。その日の記憶がある。園庭の柵に沿うように、遊ぶエリアがあって、真ん中は、誰も遊んでいる人がいなくて、そこで私は周りを見渡しながら、どこにも行けずに半ば無意識で手の甲を引っ掻いたり、掻きむしっていた。できない自分が嫌なんだよね。当時はそんなことを言葉にできなかったけど、今ならできる。泣けてくる。産まれてまだ4年の子が、自分のことが嫌って思うなんて。

 それで、家に帰って、母に、「もしかしていらいらしたりして、手の甲引っ掻いてない?」と聞かれて初めて自覚した。痛かったね。今はほぼ治ったアトピーだけど、そのときを思い出して、手の甲を撫でる。



 公文に通っていた。口を開けずに、喉だけの声を出していた頃だった。帰りに、さようならの「さ」だけ言ってみよう、と先生に言われて、首を振ると、母に「"ん"と"さ"は一緒やろ!」って怒られて、わざと母が家で話さなくなって、幼稚園のかばんも押し入れにしまわれて、幼稚園に行かなくてよくなったのに、なぜか幼心にショックだった。

 そのことで、中学生のときに「これまで無理させてごめん」みたいな話をしてきて、「公文のことも。覚えてない?」って言われたけど、覚えてないふりをした。理由は分からない。

 公文の件は年長に上がってからだったのか、まだ年中のときだったのか、よく覚えていないから、記憶ではいつの間にか年長になっていた。私は頑張っていたと思うよ。

 小学生に上がってからも、何度も親に「なんで喋らんの?」って聞かれて、その度に泣いて黙っていた。答えられなかった。今でも「喋る」と「話す」という言葉は家族の前で言えない。あと、まだそのときから頭の中に残っている、「恥ずかしいから」という答えも(幼かったので自分ではそう思っていた)、喉の奥の奥にしまったまま出てこない。だから、「恥ずかしい」という言葉も言えない。

 「喋らんかったら余計恥ずかしいで」と言われた。思考を見透かされてびっくりした。更に何も言えなくなった。家で、緘黙の話をするときは、今でも声が出ない。

 弱っちいな、本質的なところは小さいときから何も変わってないな、と思う。本当に。

 私はまだ4歳の子供だ。



 過去に行って抱き締めてあげることはできない。だけど、その代わりに、私は、小さな自分と今の自分が出てくる物語を空想している。



 親のことを責めるつもりはないと書いた。当時は「場面緘黙症」っていう言葉自体が全くと言っていいほど知られていなかったと思うし、でも私は喋らないし、どうしたらいいの、ってずっと悩ませたと思う。注射の度に絶叫して母を殴ったり、幼稚園に行く度に泣いたり、そういう苦労もかけた。だから、それはもう、私が生まれてきたタイミングと、時代と、環境が悪かったんだなって、思うことにした。今生まれてきていたら、何か変わっていたかな。

 少し前、この話を、部分的に先輩に話したら、「だから(私)ちゃんは今、広めようとしてるんやな」と言われた。そうかもしれない。それで、昔の母や私みたいな人が少しでも救われるなら、私が生まれてきた意味がある。行動する意味がある。

 最近、夜のあさがおとかもどうしていこうかすごく悩んでいて、その中で私の過去が出てきたから、書いてみた。何か変わるなら、変わってほしい。

このままどこかに行けたらなって 海に沈んでしまえたらって
ありもしないと言えないこと 今も私は揺られている

「乾涸びたバスひとつ」米津玄師

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