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漢字の読めない君と、声の出せない私と。

 窮屈だなあ。
「昨日のドラマ見た?」
「見た見た!」
「ヒロインの、あの子がさ…」
「さっきの授業マジで分かんなかった〜」
「どこどこ?」
「帰ったら遊ぼ!電話するね。」
「分かった!」

 運命は、平等じゃないと思う。
「疲れた〜」
「疲れたね〜」
「やべ、もう誰もいないじゃん。」
私がいるのに。
「急げ急げ!」

 最後の子が教室を出て行って、ほっと息をつく。ようやく私は、帰りの準備を始める。私はあの子たちに、「いる」と認識されてないんだな。いつものことなのに、いつも同じように落ち込んでしまう。この世界に生きることが、私には向いていない。

 そうこう考えているうちに、遅くなってしまった。幹太かんたくんのいる教室に、急いで向かう。私たちがいつも会うのは、二階の空き教室。同じクラスだけど、教室だと誰かが戻ってきたときに鉢合わせてしまう。だからこっそり、学校全体で部活が休みの水曜日に、空き教室で会っている。

 幹太くんは、私が遅くなることも知っていて、ドアをノックしたり、「失礼します」と言ったりできないことも分かってくれているから、教室に入っても、ドアを開けて待っている。優しくて賢いな、と思う。

 私がいつものように顔を覗かせると、幹太くんは笑顔で「どうぞ!」と言った。教室に入ってドアを閉めると、私にも笑顔が浮かんできたように感じる。
「議長、今日は何の議題でしょうか!」
幹太くんはいつもいちばんにそう言う。議題は専ら、幹太くんの関心がある環境問題になる。でも、私に何かあったら、それを遮って悩みを聞いてもらう。ただ、週に一回集まって、そんなことをする関係。普通なら、しかも男子と女子で、こんなに仲良くなれることはないと思う。でも、私たちには、”普通ではない”という繋がりがあった。

 私は喋れなくて、幹太くんは読めない。
 人として大事な機能が、一部奪われてしまったようだ。
「泳げないペンギンみたいだな、俺たちって。」
幹太くんは言う。私もそう思う。また、続けて、
「俺の方がマシだよ。書かなくても、喋ってれば生きていけるんだからさ。」
と言う。それに同意したい気持ちが半分と、できない気持ちが半分。私はこう書いた。
けないのはまだいいけど、めないのは不便ふべんでしょ。』
「ごめん。もうちょっと読み仮名を大きくできる?」
私は一旦読み仮名を消して、大きく書き直した。
「ありがとう。これで読める。…確かにね。でも、こうやって瑠莉るりさんが大きく書いてくれるから、読めるよ。」
『わたしは、かんたくんとはなしたいから。』
逆に、書くことしかできなくて、ごめんね。という言葉は、長くなったら読むのが大変だろうから、飲み込んだ。
「そうだね。俺も瑠莉さんと話したいから、読むよ。」

 私は、ここに「いる」。

 先生に見つかって多少怒られても、私の分まで誠実に理由を説明してくれて、先生を味方につけてくれたから、今ではこの教室にいるのも”先生公認”になってきている。私は、幹太くんと話すためだけに、大きな文字も書けるA4のコピー用紙を使っている。幹太くんと出会う前は、助けられてばかりだった。幹太くんも、そうだと思う。でも、今は助け合いができている。それはとても喜ばしいことだ。

 私が幹太くんと初めて話した日のことを思い出そうとしても、どういう経緯で私たちが出会ったのか、思い出すことができない。気がつくと私は保健室のベッドにいて、おそるおそるカーテンを開けると、養護の先生とクラスの男子がいた。名前はここで先生が紹介してくれた。
「茂木幹太くんです。そしてこっちは土井瑠莉さん。昼休み、瑠莉さんがしんどそうにしてたのを幹太くんが連れてきてくれたよ。ありがとうね。」
「いえいえ。瑠莉さんっていうんだね。同じクラスだよね。よろしく。」
私、何してたんだろう。
「二人のことは、たまに先生たちから聞いてるよ。頑張ってるな、話してみたいな、って思ってた。六時間目も、幹太くんは引き続き、話そうか。瑠莉さんも、いい?」
こっちを向く笑顔で、先生も幹太くんも、悪いことはしない人だと分かった。授業に行けないのが気がかりだけど、それもどうでもよくなってきた。私はゆっくりうなずく。
「瑠莉さんは、これ使って。」
紙と鉛筆を受け取る。
「幹太くんは、書かない方が話しやすいね。」
「はい。あ、俺、字が書けないから。読むのも時間がかかるけど、読み仮名を大きめに書いてくれると助かる。」
自分のことをいきなり話してきて、びっくりしたのに加えて、「俺」という一人称がみずみずしいけど、あまり似合ってないなあと思っていた。使い始めたばかりだからか、声変わりの途中だからか、どちらにせよ、自分でも使い勝手がよく分かっていないようだった。
 この日は、帰りの時間まで話して、幹太くんが用事を思い出した様子だったので、そこでおしまいになった。

 聞いてみようと思った。
 幹太くんが、あのときどうして私に怪訝な目を向けずに話してくれたのかを。

 待ちに待った水曜日。いつものように遅れて行くと、幹太くんが「どうぞ!」と言って、A4の用紙を出しながら、私は緊張を隠すように笑う。
『いきなりきたいことがあるんだけど。』
「何?どうしたの?」
心臓が動くのが分かる。人の気持ちを聞くのはこわい。手が震えながら、私は書いた。
はじめてはなしたとき、どうしてすぐにわたしをれてくれたの?』
「ああ。別に、今もだけど、全部受け入れてるわけじゃない。だからたまに、瑠莉さんに対しても、新しい発見があるし。でも、俺もそうだけど、世界にはいろんな人がいるって知ってたから。はじめから拒否反応を示しても、何も分かり合えないでしょ?」
幹太くんは大人だ。だから、頼ってしまう。
きにくいね。わたしたちって。』
どのくらいの間、沈黙が流れていたのだろうか。不意に、幹太くんが呟いた。
「泳げないペンギンみたいだな、俺たちって。」
幹太くんは言う。私もそう思う。また、続けて、
「俺の方がマシだよ。書かなくても、喋ってれば生きていけるんだからさ。」
と言う。それに同意したい気持ちが半分と、できない気持ちが半分。私はこう書いた。
けないのはまだいいけど、めないのは不便ふべんでしょ。』
「ごめん。もうちょっと読み仮名を大きくできる?」
私は一旦読み仮名を消して、大きく書き直した。
「ありがとう。これで読める。…確かにね。でも、こうやって瑠莉さんが大きく書いてくれるから、読めるよ。」
『わたしは、かんたくんとはなしたいから。』
逆に、書くことしかできなくて、ごめんね。という言葉は、長くなったら読むのが大変だろうから、飲み込んだ。
「そうだね。俺も瑠莉さんと話したいから、読むよ。」
『ありがとう。』
「違う話になるかもしれないけど…生物が海から陸に上がったのも、人類が新しい大陸を求めて旅をしたのも、進化の上で大切なことじゃん?俺たちも、泳げないペンギンだけど、ただ”泳げない”だけで、空は飛べるかもしれない。他の道があるって。信じようよ。」

 泳げないペンギンは、空を飛ぶ。私たちは、そう信じることにした。

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