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日記感覚で自由に書いていきます。食べ飲み、神社仏閣巡り、カラオケが好きです。最近キック…

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日記感覚で自由に書いていきます。食べ飲み、神社仏閣巡り、カラオケが好きです。最近キックボクシング、ウクレレ始めました。

最近の記事

YUKIのコンサートに行ってきた!!!

数年前、一生のうちにしたいこと100選を書いてみたことがありました。 そのうちのひとつが、YUKIのコンサートに行くこと。 ついに、 昨日、 叶ったのです(*^▽^*)!!!!!! YUKIを初めて認識したのはおそらく6歳とかそれくらい(ジュディマリの時ですよね)? その前から楽曲は聞いていたはずだけど、 (るろ剣大好きで見ていたし。「そばかす」が有名ですよね。) あの声の人を、姿かたち、パフォーマンスではっきり認識したのは、テレビでコンサートツアーか何かのC

    • 童心に帰った夏休み

      今年の夏休みは、お盆前に帰省しました。 約5日間の帰省。 第1日目は、母と秋保温泉へ。 写真を撮り忘れてしまいましたが、目的は秋保にあるクラフトビール屋さん(アメリカ発のクラフトビールブランドらしいのです)! 自然豊かな景色をバックに、ソーセージと蔵王チーズのフライで乾杯!!!!秋保のお米で作られたというクラフトビール、デリシャス!!!✨ いつも飲んでいる生ビールも大好きですが、たまには色んな味わいを楽しむのもいいですね。 ビールを作っているスタッフさんのキラキラ

      • 真実の愛って、なんだろう

        バチェロレッテ3をみました。 その流れでバチェロレッテ1ももう一度見返したのですが。 愛ってなんなんですかーー!!!!! 誰か教えてーー!!!!! 愛っていきなり広過ぎますが、私が叫びたいのは、パートナー、伴侶となる存在との愛や出会についてです。 バチェロレッテでは、「ソウルメイト(3の方)」 や「真実の愛(1の方)」というキーワードがちょこちょこ出てきます。 ネタバレになるのでセーブしますが、バチェラーもバチェロレッテも、色んな、個性豊かな素敵な人たちが出てき

        • 音楽は楽しいから好きなんだ

          子どもの時から音楽番組が好きで、子どもが起きているような時間じゃなかったと思いますが、THE夜もヒッパレとかをみていました。 (時間的に本当に見てたのか怪しいけど、あの曲名発表の記憶とかお姉さんたちが歌ってたこととか覚えてる...)。 歌うことも好きでよーく歌ってました。 3歳くらいの頃だったか、母に、 「ママは大人になったら何になるの〜?」と聞いたんですよ。すると、 安室ちゃん!歌って踊るのが夢だよ〜( ´ ▽ ` )!!と言っていたもんで、 安室ちゃんになりた

        YUKIのコンサートに行ってきた!!!

          今日は本音記念日ということで

          ふぅ。 疲れちゃった…。 出オチですが、 これが本当の本音です。 昨日、今日と、なんだかとっても心が疲れていました( ´・ω・`) 少し寝たら元気が出て、noteを書きました。 何があったわけでもなく、食事も睡眠もしっかりととっている。遊んでもいる。 そんな時であっても、 「疲れたよー!」 「だれか助けて!!」 そんな風に自分の心が叫んでる時がある。 これは無視できない。 私は、自分自身には、疲れたこととか悲しいことは正直に言って、 そしたら、今日

          今日は本音記念日ということで

          優三さん ありがとう

          いきなりですが、優三さんとは、 今放送されている朝ドラ「虎に翼」のヒロイン寅子(ともこ)の旦那さんです。 私は、「半分、青い」で朝ドラにはまってからというもの、朝ドラはなんやかんや見続けています。 今回の朝ドラ、出てくる人物の人柄も素敵だし、舞台設定も、笑いあり涙ありなところも、とっても大好きです。 寅子は、男性弁護士しかいなかった日本の昭和の時代に、女性弁護士になられたという方です。 とっても芯が強くて、家族想い、友人想いの女性ですが、当時は男性と女性の立場にとても

          優三さん ありがとう

          可愛くて見やすいデザインで地図を作りたいのですが(とある市の近隣一帯)、手作りできるアプリやサイトってあるのでしょうか、、?

          可愛くて見やすいデザインで地図を作りたいのですが(とある市の近隣一帯)、手作りできるアプリやサイトってあるのでしょうか、、?

          母の日 2024 親孝行?

          溜めていた母の日の出来事です✏️ みなさんにとって、母の日は、どんな日ですか?? 母に感謝をする日。 それは分かるけど、その心までは教わらなかった気がします。 現に私の弟(30歳 今年婚約 真面目な男)は、困った時の頼みの綱は母ですが、小学校を卒業してから母の日を意識したことはないんじゃなかろうか。 小学校だとお手紙書いたりカーネーション渡したりしますよね💐 父は数年前にぽっくりと亡くなったので、親孝行のターゲットは母のみになりました。 私は進学のため18歳で東北か

          母の日 2024 親孝行?

          ウキウキ ワクワク

          ここ数年、noteは記事を読むだけになっていました。 なんとなく日常の忙しさに紛れて続かなくなって。。。続けてらっしゃる皆さま、本当にすごいです。 でも最近、数年前の記事を読んでくださった方が何人かいらっしゃり、純粋に嬉しくて、新しい出会いはウキウキするので、また書くことにしよう!!そうしよう!!  と思いました( ◠‿◠ ) 私は約3年前から、総合病院でとある専門職をしています。ざっくり言うと緩和ケアに関することをしているのですが、私の部署は発展途上にあり、上司1名、

          ウキウキ ワクワク

          ゲームが苦手という方、おりますか?

          ゲームが苦手という方、おりますか?

          母親からの電話は屁をこいてしまった話だった

          これから面白い話をしますよ、 的な雰囲気をただよわせた母から電話がかかってきた。 フッフッ!! と笑いが漏れている。 母からの電話は、相談ごとや、感動したこと、腹立たしくてたまらないことが起きている時にやってくる。 今日は、自分が人様との電話中に屁をこいてしまったという過去1内容のない話だった。 友人との電話中に放屁し、 「いま屁をこいたな?」と気づかれたものの、咄嗟に「こいてないよ〜」としらばっくれた矢先、2度3度と屁をこき続けてしまった。   という話だ。 

          母親からの電話は屁をこいてしまった話だった

          いざ、出雲へ。

          出雲は常に行きたい場所リストに入っていたのに、なかなかチャンスをつくることができず10年くらい経ってしまった。 母は出雲に立ち寄ったことがあるらしく、話には聞いていた。 大病を患っていた祖父の健康を祈願しに、母は出雲大社を参拝していたのだ。 いつかきちんと出雲大社にお礼に参りたいということを聞いていたからか、とても気になっていた。 行くなら寝台特急でだよね〜行くなら神在月かな〜なんて思っているうちにけっこうな大人になっていた。 月日は流れ、 私は2021年の夏の終わりに

          いざ、出雲へ。

          我慢とわたし

          私は我慢を、肯定的な面から捉えていた人間のようだ。 そのことに気づいたのは胆嚢を摘出する手術をした時のことだ。25歳だった。 手術自体は腹腔鏡で、早ければ2〜3日で退院できるというものだった。しかし、私の場合は幼少期に開腹手術をしたことがあったので臓器が癒着している可能性があった。 実際、癒着しているところもあって時間はかかりつつ、無事に手術を終えた。 麻酔が切れ、看護師さんからのGOサインが出てからは、早く回復したいという一心で何度も歩く練習をした。 術後は時間をあけて

          我慢とわたし

          あけましておめでとうございます

          2021年は、noteを始めた年でした。 多くの記事をあげられたわけではありませんが、見ていただける方がこれだけいらっしゃることに驚きと、感謝の気持ちでいっぱいです。 来年はもっと自分と向き合い、表現していきたいです!! 私は口下手な人間であります。 しかし、だからと言って伝えることを諦めてはおりません。 皆様にとって、愛に溢れた一年になりますように。  今年もよろしくお願いいたします。

          あけましておめでとうございます

          むりをしないでなまけない 私は弱い人間だから

          私の実家のトイレには、相田みつをの日めくりカレンダーがあった。 「人間だもの」という詩をご存知の方は多いのではないだろうか。 小学生の私にはその詩に想いを馳せられるほどの奥深さや人生経験はなく、 センスのある文字だ。 という感想が思いつくくらいで。とはいえ、 "人間だもの" という表現のインパクトは相当大きかった。この表現を知ってからの私は、「人間だもの。」を気安く乱用してきたと思う。そして、もっともっと、他の詩も見てみたくなって、日めくりをめくりにめくった覚えが

          むりをしないでなまけない 私は弱い人間だから

          震災から10年。東日本大地震を振り返ってみた。〜②日本沈没が本当に起きるとは思わなかった〜

          (前回の記事を見て下さったみなさま、ありがとうございます) 前回の記事で、私は震災の時に毛染めをしていたことを報告した。 私の地元は車がないとやっていけない社会だ。私は車の免許を持っていない。原付免許ならあるけど。 車の運転ができない小娘よりも、70歳で車をどこまでも走らせる祖母の方が価値が高い。駕籠に乗せられる姫のごとく、私は帰省の度、移動を誰かにお願いする身分であった。 震災の時もそうだった。美容院への送迎を母にお願いしていた。 両親は小さな会社を営んでいたので

          震災から10年。東日本大地震を振り返ってみた。〜②日本沈没が本当に起きるとは思わなかった〜