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取るに足らない日記


こんにちは、こんばんは、近頃めっきり寒くなってまいりましたね、という出だしのnoteはなんだか在り来りですが本当に寒いね。みんな温かくしてお過ごしください。


私が今から書く話をみたことがある人はあるだろうし、そうじゃない人はそうじゃないし、ほう〜面白いことを言うなと思う人も居れば、何言ってんだこいつと思う人も居るでしょう。

いずれにせよ、取るに足らないことです。

言ってみれば、風呂場でつらつらとくだらないことを思考する時のように、何の実用性もなければ、答えもないことです。



「革」と「宝石」の話


「誰かを特別大切にする」時、私は主に2パターンの関わり方をしている気がします。


ひとつは、「革」

革の靴や鞄、財布は、使えば使うほど、言い換えれば触れれば触れるほど味が出るものです。

革の表面に傷を付けることもあれば、擦り切れていくこともあるでしょう。
自分が付けてしまったと明らかな傷も、汚れも、まるごと価値があり、愛し得るものです。


この革のように、慈しみながら触れるにつれ、きっときっと尊い関係性になるのだろうなと思う人がいます。

例え私のせいで傷をつけてしまっても、きっとその傷も汚れも2人に馴染んで、どんどん愛が募るのだろうなという予感がするのです。



反対に、「宝石」の人もいます。


宝石は、それはそれは美しく、傷一つなく、どこまでも透き通った輝きを持つものです。
一点の曇りもなく、大切にしておきたいのです。


それと同じように、まるで宝石を扱うように、大切に大切に、1番柔らかいところに置いておきたいと思う人もいます。


傷をつけてしまうなんてとんでもない!
ガサツな私はこの宝石を傷つけずに傍に置いておく自信なんてないですし、傷つけてしまうくらいならば手に取ることすら躊躇います。




この両者、私がそんなふうに感じているというだけで、どちらが良いとかどちらが好みとかそういう話ではありません。
宝石も革も、私にとっては価値の高いものです。



誰かを特別愛するということ


要するに私が何を言いたいかというと、


誰かを特別大切にして愛そうとする時、革を宝石のように扱えず、宝石を革のように扱うことが出来ないように、「どうやって『大切』を表現するか」が違うということ。



革のように扱いたいと思う人には、革に触れるように、出来るまで近くに、傍に行って触れ合っていたい。
私がつけた、またはつけあった傷だから、私達以外の手に到底馴染むものではない。



宝石のように扱いたいと思う人は、出来るだけ傷をつけてしまわないよう、安全なところにずっと置いておきたい。なんなら、貴方が今のまま美しく居れるならば、どうか私よりも適切な場所で愛されてほしいとすら思う。


一見それは当たり前で、その人との関係性や互いの価値観、性格によってもきっと左右されるでしょう。
取るに足らない話ということは、まぁ結局そういうもんなので許してくださいまし。


ただ、革のように扱う場合と宝石のように扱う場合、そこに愛の差はありません。
同等に愛し、大切にしたいという気持ちは変わらないつもりです。



でもこの話を聞いて、「革か宝石かを決めているのはこちらの勝手であって、革だと思って接していたものが本当は革ではないかもしれないし、宝石だと思っていたものが宝石ではないかもしれない」という懸念点が浮かんだ方はきっと多いでしょう。



もちろん、その通りです。

私が大切にしたいように大切にする、これはそのまま私のエゴです。
もしかしたら宝石のように扱うべき人だったかもしれないし、革のように扱うことを望まれていたかもしれません。



でも、私にとっては革に見え、また宝石に見える以上は、例え望まれても望まれた接し方を徹底できない気がします。
できたとしても、きっと私が潰れてしまう。


だから私の「大切にしたい」と、相手の「大切にされたい」が一致した時、私たちは互いの心地よい部分でそばに居ることができるんだと思います。



それが「愛し合うこと」のきっかけにもなるんだと思うし、同じベクトルで、すこやかに相手を大切にすることだと思います。



「大切」の手段が違うということ



最後にもう一度、「大切にする」という大切の仕方が違うことは、愛されていないということでは決してありません。


どちらも大切にしようとすると、革と宝石では大切にする仕方が違うのは当たり前です。


革のように扱われること、あるいは宝石のように扱われること、大切にされ方が違うことは愛されていないことではないということは、今後私が大切にしていく方々には分かっていて欲しいなと思いました。




そうは言っても実際、触れてみてつけた傷を見るまでは宝石なのか革なのか分からないこともあるだろうし、何より「革」だということは傷つけても良いという免罪符にはなりません。


例えそうであったとしても、私にとってはこんな感じ、という取るに足らないnoteでした。




皆様は如何でしょう、貴方にとってはどんな「大切」の形があって、どんな愛し方があるでしょうか。


革と宝石の話をどうこうしたいわけではないのですが、この話が貴方が今日お風呂に入る時の、ひとつの暇つぶしになればなぁと思います。



では🍂

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