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『心』という臓器

身体の病気

例えば 癌とか  で

死んだら きっと

最後まで立派に病気と闘われました とか 


言葉は不適切かも だけど 

ある意味 讃えられる のじゃないかな


じゃあ いろんな原因で

精神疾患になって

鬱が起因で ジシ したら どうだろう


ジシしたいと思う

『希死念慮』『自殺企図』は

精神疾患の症状(脳機能の誤作動)

なんだけど

 

きっと

家族が悲しむのわかってるのに とか

遺された家族の暮らしを考えないで とか

命を粗末にして とか

って

言われることが 多いんじゃないかな


『最後まで精神疾患の病気と闘って…』と

言って貰えるかな…



身体の病気と違って

精神疾患は   

検査の数値にも表れないし

見た目にも分かりづらくて 

一見元気そうで、むしろ笑顔、

おしゃれだったりするし

(外出できる時は、病気を悟られないよう

 容姿に気遣って取り繕う人もいる)


見るからに病気で身体が弱って、

衰弱していく…みたいのが見えにくいから

誰が見ても

『もうすぐ寿命』みたいなもの感じづらい


でも

思うんだよ

『心臓』『肝臓』なんかの1つが壊れて

『寿命』が来たら

身体が『寿命』で死んじゃうみたいに


『心』も壊れて『寿命』が来たら

身体も『心』とともに

滅びるのじゃないか と


ジシを選ぶ人は

心配し支えてくれた人を

悲しませたくなくて

裏切りたくなくて

遺される人に

迷惑かけたくなくて

だから

どうにか生きとかなきゃって

希死念慮と闘ってがんばって

それでも

希死念慮という致命的な『症状』に

飲み込まれちゃった人 なんだよ


もちろん

ジシすることを推奨も肯定もしない し

ジシは世の中から無くなって欲しい

けど


少なくとも

『心』という『臓器』の

致命的な故障(寿命)で

ジシに至ってしまった人に

弱いとか

我慢が足りない とか

無責任 とか

という言葉を

投げかけてはほしくない

心から

思うのです…。


















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