それは教育なのか

衝撃の安倍晋三襲撃の事件から
山上の家族について考え

自分の母親について考えている

かつて、母は自分に言った

私はあんたがどんなに駄々をこねても無視した、無視し続けたら黙るから

ドヤ顔で何を言ってるのか

これは精神的虐待じゃないのか?

山上の気持ちがわかる
しかし肉親とはいえ、人は人

どんなに求めても伝わらないこともある
伝え方がわからないのかもしれないし
教わろうとしてくれていないのかもしれない
それでも子供とは親に対して愛を求めるものだ

縋っても無駄だと絶望した時
感情を失う

山上は母親を信じたかったのだろう
しかしそのスケールがデカすぎる

自分が山上の立場だとしたら
縁を切って見捨てるだろう


遡って考えてみても
自分の悩みの原因の根源は母親だった

たとえば
学校での人間関係に悩んだ時

父親も兄弟もいない自分にとっての最大の相談相手は母親である
しかし彼女は自分に言った

ああ、私も同じような体験したわ
あるいは
それってあなたが悪いんじゃないの

きっと正論を突きつけたのかもしれない
しかし子供にとっての親は
常に味方になって欲しい、なっていると感じていたい
それらを幼少期に奪われたらどうか?
自分はすでに母親に絶望した、縁を切っても構わない
もはやそれくらいの関係性

たとえ愛されていないと感じていても
他人を愛することはできるはずだ

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