裏があるんじゃないか
たとえば、普段優しくされたことがない人が
急に周りから優しくされると「何か悪いことしたかな?裏があるんじゃないかな」と疑ってしまう。
たとえば、普段褒められない人が
急に褒められると「え?なんでだろう?裏でもあるのかな」と本気にしない。
このような現象はどうして起きてしまうのか、と考える。
思ったことはストレートに言う
決してごますりをしない
建前を用意しない
嘘はつかない
自分自身がこんな風な対策をしていても
“本当に裏がある人”が存在する限りは、悲しい疑いを持たないといけない。
最近、テレビを見るのをやめて、Twitterもやめた。
テレビを見ていると自分の思考を持てなくなる気がする。
Twitterは時間の無駄。
これらをやめたことで、ネガティヴ思想を始動してしまう時間が減ったように思える。
悲しいことに、簡単に人間は裏切るし、平気でうそをつく。
それでも自分だけは、表と裏を作りたくない。作らないといけない場面もある。嘘をついていると罪悪感に襲われたりもする。
でも、こういったことは
将来、年を重ねたときに、自分に返ってくると信じている。
だから世の中にいる“本当に裏がある人”は、将来自分に返ってくる。
そして誰も信じられなくなるから、心配いらない。
少なくとも、そう思っていれば、
“自分は自分”
“他人は他人”
違う世界の話だ、と割り切れるかもしれない。
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