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「AIに代替される」論の問題点

医療に関わっていると、最近嫌という程こういう話を聞きます。

「〜科はAIに取って代わられる」

「〜科はAI化される。だけど外科(⬅︎謎の自信)は大丈夫だ」

この論調は多くの場合他愛もないですが、今から医療を志す者にとっては先輩たる医師や教授がこのような話をすることは真剣な問題です。この論調を真に受けて、興味のある仕事を敢えて避ける人も出て来るでしょう。「〜がAIに代替される」が本当に正しければ、良いの

1. 焦点が広すぎる

「(職業名)がAIに代替される」という命題についての最初のツッコミは「職業」は代替するには範囲が広すぎて現実的でない点です。

例えば、「コンビニのレジ打ちはAIに代替される」という命題について考えましょう。コンビニのレジ打ちは単純業務の代名詞ですが、行なっている業務を真面目に分解してみるとレジ打ちの単純な業務と言えどかなり複雑で多岐に渡ることが分かります。

1. 客を認識する 2. 客に対して適切な応対を行う 3. 商品を認識する 4. 商品をレジに読み込む 5. 客の支払金額を確認し、お釣りを渡す 6. タバコが欲しい、バナナはどこに置いてあるか、近くの銀行はどこか、トイレでOBした、など客の不規則な要望に対応する 7. 商品を適切な場所に並べる 8. 落ちていたり配置がズレている商品やゴミを認識し、適切に対処する 9. トイレ掃除を行う 10. フライドチキン等の調理を行い、陳列する 11. 在庫を確認し、発注をかける 12. レジ、ATM、冷蔵庫、コピー機など様々な備品をメンテナンスする 13. 笑顔で「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」を言う 14. 賞味期限切れの商品を破棄する 15. お得意さんを認識し、適切に応対する 16. 在庫から陳列棚を補充する・・・(以下続く)

さて、上はほんの一部ですが少なくともこれらを全て代替しないと「レジ打ちを代替した」と言う命題は正しいと言えません

上のたった16個の業務を完全に代替するロボットないしAIソフトを作ることは、少なくとも現状のテクノロジーでは、極めて難しいでしょう。そもそも出来たとしても開発費用に見合わないです。

そこで、焦点を変えて見ましょう。

客を認識するAI

在庫を確認し、発注を自動でかけるシステム

フライドチキンを自動で調理するロボット
(*トイレOBを片付けるロボットはちょっと難しそうです笑)

このように、個々の要素分解された業務であれば高い確率でAI、アルゴリズム、ロボットによる代替が可能です

しかし、ある職業の全ての業務を滑らかに行う統合されたシステム、AI、ないしロボットを作ることは極めて困難なのです。仮にそれがレジ打ちほどの単純な仕事であっても。

上は単純作業の代名詞たるレジ打ちの例でしたが、高度専門職の代名詞、医師はどうでしょうか?

医師の業務はどの診療科でも何千、何万、何十万項目の手技、知識、判断があります。対象とする患者も誰一人として同じ患者はいません。

レジ打ちと同様に、「〜科はAIに代替される」範囲が広すぎる話なのです。
技術で代替するには一人の医師の職務範囲はあまりにも広すぎます。

逆に、個々のタスクや業務について言えばどの診療科もAI、ロボット、アルゴリズムの活用は今後必ず行われるでしょう。
しかし、だからと言って仕事が丸ごと無くなる訳ではなく、重点が変化すると予想されます。

ルーチンワークやcommon diseaseの診断治療は自動化されていき、医師の仕事はよりハイレベルな内容になることでしょう。

2. 人間を過小評価し、技術を過大評価している

先ほどの例のように、人間は無数のタスクを体重40-80kg、体長150-170cm程度の大きさのたった一つの個体でいとも簡単に、滑らかにこなす、極めて優秀なシステムなのです

教育次第でレジ打ち、お絵かき、作曲、お喋り、計算、建築、から脳外科手術まで学べる人間と言うシステムは文字通り無数のことを学べる強力な汎化能力と高い身体能力を併せ持っています。

残念ながら、人間の技術が人間ほど優秀なシステムを作り出すことはまだまだ先のようです。我々の一生の間にはそのようなシステムの誕生を拝めるかもしれませんが、明日明後日AIロボットに仕事を奪われるなど野暮な心配をすることは時間の無駄でしょう。


3. 技術による代替はどう起きるのか、歴史に学んでいない


そもそも技術による「代替」はAIロボットが職場にやってきて、自分の机を占拠するような形で行われません。

例えば18世紀のイギリスの産業革命の紡績産業の変遷を見てみましょう。
イギリスは紡績・織物産業の技術革新により超大国になったと言っても過言ではありません。織物?と思うかもしれませんが、平均的な国民が1着の服しか持っていなかった時代です。疫病で死んだ患者の服を略奪されるのを防ぐために病院は服ごと焼却したそうです。全国民に十分な服を届けることは18世紀、最高最大のイノベーションと言えます

さて、産業革命以前は、布を作るための糸作り(紡績)は農村の各家屋が糸車を使って作っていました。上のような「糸紡ぎの職人」が糸紡ぎ機で行なっていたわけです。

そこで産業革命の聡明期、1733年に飛び杼の発明により織物の効率が改良され一人の織物職人がより多くの綿織物を作れるようになりました。

それにより糸の需要が拡大し、拡大した需要に応えるために次に紡績機が改良され、一人の職人がより多くの糸を作れるようになりました。(上が改良された紡績機。この段階ではやはり糸紡ぎ職人でないと紡績機は扱えませんでした。

1771年には水力紡績機が開発され、紡績の技術がない労働者でも工場で大量に糸を生産できるようになりました。これにより糸紡ぎ職人でなくても糸を生産でき、しかも大量生産できるようになりました。

そしてついに1785年に蒸気織機が開発され、訓練を要しない労働者が大量の織物を生産できるようになり、イギリスは世界最大の織物輸出国になりました。

このように技術革新の流れはまず、1)技術により職人一人当たりの生産性が上がり2)訓練を要しない労働者でも作業を行えるようになり、最後に3)少数の労働者が大量の製品を生産できるようになる、という流れを辿ります。

要は、「技術革新による人間の代替」の本質は機械やテクノロジーによる代替ではなく、「機械やテクノロジーを使う人間」による代替なのです。

この原則は、現代の医療とAIについても言えるでしょう。


医師がAIに取って代わられることはありません。

しかし、医師はAIを使う医師により取って代わられるでしょう。


人間は極めて優秀なシステムです。
しかし、棍棒を持った他の人間に対抗できないように、生身の人間は武器やテクノロジーを駆使した他の人間には敵いません。

もしかするとそう遠くない将来、技術がさらに発展し高度な専門教育を受けていない人でも、技術による支援により高度な治療を行える未来が来るかもしれません。

しかし、その頃は我々はさらに高度な医療を行なっており、そしてその医療はやはり高度な教育を受けた専門家、即ち「医師」によって支えられていることでしょう。


P.S.
思ったよりエモい結論になってしまいました。
ツイッターやってます、DM等大歓迎です
https://twitter.com/shohei_ub

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