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ただただ好きを垂れ流す

やっぱり、意味不明で読みにくい文になっていますので、先に謝っておきます。

昨日一昨日と、デジタルマンガの描き方とSNS運用についての講義を受けたのです。

マンガは「好きのおすそわけ」という講師の先生の言葉。
「安心して創作できる場所を作ろう」という講師の先生の言葉。
昔のもっとバリバリマンガを描いていた頃の初期衝動を思い出すようでした。

また、マンガを描く人には、自分の主張を表現したいタイプと自分の萌えを表現したいタイプがいると。
タイトルに使った絵はその講義の課題で描いたマンガの一部なのですが、私は完全に萌えタイプの人間のようです。これまでも二次創作ばかりだったから、まあ頷ける。うなずきすぎて首がもげそうだ。

イラストレーターを目指して通信の大学に入り勉強しているものの、最近はほぼ課題に手を出さずに推しの絵ばかり描いている。スキあれば推し。時々ジェネリック。気づくとジェネリックも推しになっていることがよくある。

自分の描いているものが完全に自己満足で、イラストレーターなんて程遠いと思うことがある。というか、いつも思っている。しかし、推し絵を垂れ流すのもやめられない。スキあれば課題に推しっぽいキャラをぶっこんでしまう。今回は完全に推しをぶっ込んでしまった。

そもそも、TLの需要とは違うジャンルだと思っている。もともと萌え系クラスタにいたので、フォロワーさんもそういう方が多い。そこにヒゲのおじさん絵を垂れ流している。自分でも気にしすぎだとは思うのだが。前のジャンルから繋がっているかたにいいねをいただくと特にありがたいと感じている。

では、いっそ推しファンの方々と繋がればいいのでは、と思われるかもしれないが、あくまでオタクのお絵描きアカウントであり、できれば絵の話ができる方と繋がりたい。というか、非オタクの一般の方がこわい、拗らせたチキンなのである。
なので基本的には推しはツイッターでは名前で呼んでいないし、タグはお誕生日絵ぐらいにしかつけていない。

話は講義に戻るのですが、「好きのおすそ分け」はできてないな、と思うのです。
押し付けというか、ただ垂れ流しているだけ。この文もそう。読みにくくてごめんなさい。

たとえば「推しのここがかっこいい」という主張がしたいのではなく、
「かっこいい推しを描きたいので描きました、ドンッ」とお出しするスタイル。
やはり完全に萌え型人間だ。
表現ってむずかしいね。人のことを考えて創作するってむずかしいね。思いやりがないのだな。自己中なんだ。知ってた。

もうこれは、コイツはこういうやつなんだなと諦めていただくしかない。
私はこういうスタイルの人間なんだ。

ツイッターで垂れ流すのも何なので、インスタに引きこもり壁打ちアカウントを作ってそこに推し絵を溜めています。でも、結局ツイッターにもあげるんですけど。
拙いけど、推しの絵しかない自分の箱庭。じわじわと作品がふえていくのはなかなか快感ですよ。楽しい。

まあでもよく考えたら周りの人たちも、好きなものを垂れ流しているだけなのかもしれない。私がそう思っていないだけで。
すきなものとか、推しについて語るのは楽しいですもんね。しあわせですよね。

そうだ、講義でも「幸せ」についてのお話もあった。
自分が幸せなのが大事なんだった。なるほど。そらそうだ。

もうこの文章の着地点がわからなくなってきた。ねむい。明日も仕事なんだが。

とにかく、推しが尊い。推しを描くと楽しいし、うまく描けたときは幸せになれる。幸せになるために、今日も推し絵を垂れ流す。
推しの手のひらがダンスホールなのである。ありがとうございます。
私の場合、推しにより人生が狂……人生が変わったというところがあるので、余計かもしれない。

そういえば、私は推しが好きすぎて踊り狂っている人を見るのが好きだ。
私も誰かからそう見られているのかもしれない。

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