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気付いたら15年経ってた話

推しのエマさんがソロプロジェクトbrainchild'sで活動して15周年。

15年……
私は一体この15年で何をしていたであろうか……進歩も何もなくない???……などと考えていたら、あった。
私も15年やっている「推し事」が。それが今回のお話である。

私は伝統芸能の狂言を習っている。もちろん趣味としてゆるくやっているのだが、気づいたら15年経っていた。ゆるくやっているので、それなりである。
年に1回は地元の京都で発表会に出ており、今年も4月に発表会を終えた。が、実は演目が決まった時から東京の会にも出ようという話になっていた。

ーーーーーーーーというわけで、宣伝です。来週です。
9月24日(日) とうふう会
矢来能楽堂(東京都・神楽坂) 入場無料
会は12時から18時までやっており、好きなタイミングで出入りできます。私は15時くらいから「貰聟」という演目に出ます。

いや、ただ出るだけならわざわざnoteで宣伝しないのですが、もともと一緒に出るはずだった方が出れなくなったので、代役で師匠である茂山千三郎先生と共演することになりましてーーーーーー

私は先生の追っかけをやっていたのである

まだ「推し」「沼」という用語がなかったころ、映画「陰陽師」に主演していた野村萬斎さんのファンになった事が全てのキッカケだった。
しかし、京都にいる私が東京まで狂言を見に行くというのは当時学生だった私には難しく、狂言を見たのは中学生くらいに学校で見たような気がするくらい狂言に対する興味関心は低かった。
(後に知ったが、学校で狂言をされていたのは茂山千五郎家の方々の可能性が高く、もしかしたら千三郎先生も出演されていたかもしれない)

18年くらい前だろうか、萬斎さんが京都の狂言会に出るという情報を得て、初めて萬斎さんを見たのは。帰りに出待ちする人たちに紛れて、能楽堂の前で間近で萬斎さんを見た。帰りに一緒に見に行ってくれた友人にヲタクの早口トークを披露してしまったことは覚えている。

※当時は世間知らずで知らなかったが、どんなジャンルでも出待ちはしてはいけない。ダメ、絶対。

この時、東西の三番叟(三番三)競演ということで共演していたのが、千三郎先生だった。が、当然この時の私には萬斎さんしか見えていなかった。

萬斎さんが京都で狂言や舞台に出演される機会はそうそう無く、「京都に住んでいるのだから京都の狂言を見よう」ということで初めて見たのが、茂山千五郎家の若手グループの公演「TUBOMI」であった。
が、そのときはまだ「面白かった!」という感想を抱いただけで、誰かを推すような強烈な感情まではいかなかった。

「TUBOMI」がクリスマスごろだったと思う。そのまま、新年の神社で行われる奉納狂言を軽い気持ちで見に出かけた。
内容は狂言ではなく、舞だったのだが、そこで見た「三人夫」という小舞。その時見た千三郎先生の舞の所作が美しく、心を奪われていた。

沼に落ちた。

それからの私は、狂言の会はもちろん、能に出られるのもチェックし、ラジオ(当時毎週DJをされている番組があった)ではメール職人をし、テレビ(地元TV局の中継に出たりされていた)もチェックし、講演会があれば出かけていた。物理的距離が近く、出待ちに関しての知識がアレだったため、自筆イラストを添えた差し入れを渡しに行ったり、私自身が若かったこともあってなかなかアレな推し方をしていたと思う。
(本当にすみませんでした)

当時はmixiが流行しており、そこから千三郎先生のファンの方と交流したりもした。先生ご本人もmixiをされており、オフ会にも行った。
記憶が定かではないのだが、そのオフ会でお稽古の話が出たのだったと思う。それから、先生と繋がりのあるファンの方を介してやりとりをし(私が本当にコミュ障だったため)お稽古を受けることが決定した。

さっきmixiを見たらお稽古初日の日記が残っていた。
2007年9月13日だったらしい(16年ですね)
(すごく詳しい方ならご存じかもしれないが、それから一か月もしないうちにとある事件があり、社中の方に「お稽古続ける?」と聞かれることになるが当然辞めるわけがなく、今に至る)

それから数年は、限界オタクすぎて、先生とまともなコミュニケーションがとれなかった。周りの社中の方々からいじられるレベルで。
さすがに年数が経過して、最近は以前よりもまともにお話ができるようになったと思う。

そんな私が先生と共演するわけである。
相撲をとるシーンがあるのだが、先日お稽古で合わせた時にめちゃくちゃ距離が近く、内心「近い近い!!」とちょっと焦っている自分がいた。

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