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駄文 私はできる大人なんかじゃない。

家事について。

私。
最近、全然やってない。

昨日の夜、父と口論になった。

その後、色々自分の中でも考えて、
今日の昼、父と話した。

私は。
大してやってないくせに
口だけ達者で
「やったよ!」って雰囲気出していた。

ずっとそうだった。
この手の口論は、今回に始まったことではないからだ。



幼い頃の私。
お世辞にも率先して家事をやる子ども、
とは言えなかった。

片付けは全然しないのでしょっちゅう叱られ
洗濯物も出さず散らかし、出しっぱなし。
(中学生の頃、制服すらかけようとせず、痺れを切らした母がゴミ袋に捨てたこともあった)

とんだグータラズボラ娘である。


高校3年生の夏、母が亡くなった。
くも膜下出血。
突然。倒れてから数日で。

それまでほとんどやっていなかった、任せ切りであった
家事をするようになった。

高校時代は、まだそこまで日が経っていなかったり、受験が近かったりで、
家事も勉強も、かなり気を張って取り組んでいた。

が、おそらくその過程で
「やってやってるんだ」という姿勢が形成されたのだと思う。


母が亡くなるまで、私と父との関わりはしばらく薄い状態が続いていた。
私は毎日家と高校の往復、部屋にこもって課題か、疲れきって寝るか。

また、どこか父に対して、ずっと反抗心というか恐怖心というか
「どうせ分かってくれない」と回避していた部分があった。
幼少期をさらに掘り下げることになるので、ここでは割愛するが…。

接触する機会自体少なかったからなのか、思春期特有の状態故なのか、幼少期の体験が影響しているのか、なんなのかよく分からないが、
とにかく、父親に対してあまりいいイメージを持っていなかった。


特に受験のこと、志望校のこと、
私は父の顔色ばかり伺っていた。
争うのも嫌だった。

父と私での認識や知識の違いだったり、
当時の家計状況だったり、色々あると思うが
「この人にはどうせ言ったって駄目だ」
というような、父を卑下する感情が生まれていたのだと思う。

でも、自分がいい子だから。
いい子であると信じたいから。
そんな風になんか自分は思っていない、と。


色々と脱線したが、
色々なことの積み重ねで、複雑に絡まって、
その中で「駄目な父親を仕方なく娘が手伝ってやってる」
なんていう、とんでもなく歪んだ認識が
私の中で誕生してしまった。


大学生になった。
地元の私立大学。
系列校があるためか、裕福な家庭も多い。
受験も、AO、推薦、指定校が大半。

裕福なこと、また受験方式が悪というわけではないことを承知の上で。

私のような、学費は全て自分、多額の奨学金、共テ利用の滑り止め
なんていう存在は極めて稀であった。

周りがバイト代全額自分持ちで遊ぶ中、
アルバイトをして、ひたすらに学費を貯めて
(入学したての頃は特に。奨学金の振込が間に合わない)
勉強に勤しみ、家事をやり。

「ああ自分、『周りより』頑張ってるわ」
なんて思って、生活していた。
かなり自分に対して過剰にできていると感じている。

時は過ぎ、2年。
大学生活も慣れ、余裕が出てきた。
今は春休み。

高校3年生の頃と比べると、
明らかに取り組む家事の量は少ない。
ほとんどやっていない。
グータラ女の再発である。
(そもそもずっとグータラズボラなのは変わらないのだが…)

それにもかかわらず、
「仕方なく手伝ってやってる娘」
「やってやった自分」
という姿勢は変わらずに存在し続けた。


"「たまたま」やったことが、
やる前の状態のように散らかっていて、
「『せっかく』やったのにな」って思ったでしょ"

昼間、父と話してそう言われた。
本当にその通り。

世間一般的に言う、ゴミ出しだけやって「やったよ!」って言う駄目な旦那像、みたいな。

「やってます感」とか「家事 やってない」とか
色々調べていたら、奥様の旦那に対する不満に関する記事とかスレがいっぱい出てきた。

私じゃん。これ。
私の実態こんなもんしかやってない。

なのに、「こんなにやってるのに!」
みたいな雰囲気出されても。
そりゃあ、腹立つよなって。


別に、やらないから、親に怒られるわけではない。
やれと強制されているわけでもない。

他にやることがあるならそれを優先すればいいし
やらなかったらやらなかったで、
溜まっていくだけ。それだけ。

やらなきゃ、っていう気持ちは常にある。
けど、根底ではやりたくないと思っている。
私の意志で、やりたいからやる、のではなくて
仕方ないから、やってやってる、って感じ。

そう思っていたつもりではなかったけれど、
認識していなかっただけで、きっとずっとそう思っていた。

やらない自分、できていない自分が
どこか許せなくて、認めたくなくて。

結局、中途半端にやるだけ。
中途半端、なのに、自分こんなにやってる、
って思ってた。思い込んでいた。

すんごい自己中だな。
自分のことしか考えていない。
そのくせして、「自分はできている」と自分を過剰に盛って考える。


第一、「やってる」って思うこと自体どうなのか。
お互い支え合うべきなのに
「やらなきゃだめ」を遠回しに押し付けているのは、私。

いや、支え合うべきとか、やらなきゃいけないとか、
そもそもそうやって考えを縛り付けること自体が間違っているのかもしれない。

やっていても、やっていなくても、どちらでもいい。
やれてなかったら、仕方ない。

そこの受容が、できていないのかな。
自信のなさの裏返し。

「自分って、大してやれていないんだな」
ってことを認識したくなくて、
「自分やっていますよ」感を出す。
自意識強すぎないか?


まだまだ子どもだなあ。

父親に対してのリスペクトが足りないんだろうな。
してもらって当たり前、って感じがあるんだろうな。

自分ではそう思っているつもりではなくても、
その自分を認めたくないだけで、
きっと私はそう思っている。

ひとりでは生きていけないよ。
当たり前じゃないよ。今の生活は。

私、大人じゃないじゃん、自立してないじゃん。

「手伝い」ではなくて、
「自分の役割」として、捉えて。

まだ、過渡期というか、
認識を今すぐに変えられるわけではないけれど。
ふとした時に、「私はやってる」なんて思うかもしれないけれど。

もっと気づいて。
今の環境、そして父に感謝しながら、
少しでも自分事として取り組んでいけるようになりたい。


でも、繰り返してしまうのかなあ、人間。
変われるのかな。私。
いや、でも変わらなきゃいけない。
変わろう。


ただ頭にあることをそのまま書き出した駄文。
構成も何も考えていないノープランの文。

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