ショートショート(10話目)ショートショート作家の苦悩

アイデアが出てこない。

ショートショート作家の蛍(ほたる)は行き詰っていた。

4年前、蛍の処女作「隠れているから見たくなる」は50万部を突破してベストセラーとなった。

印税の5000万円を手にした蛍は勤めていた会社を辞めてプロ作家になることを選んだ。

2作目の「アパートの灯りはついているか?」は5万部を売り上げてスマッシュヒットとなったものの、3作目の「でっかいライオンの像」は5000部しか売れなかった。


貯金も底をついた。

4作目がこけたら、出版社からは見放される。

蛍は必死だった。

しかし、必死に考えれば考えるほどアイデアは出なかった。

蛍は深いため息をついた。

そもそも、ショートショート作家という職業に無理があったような気がする。

ショートショートで本を1冊発行するためには50個ほどの作品を作らなければならない。

アイデアは無限ではないし、200作品目、300作品目ともなれば、どうしたってストーリーは似たようなものになってしまう。

それでも、長編小説を書こうとは思わなかった。

蛍は長ったらしい映画やドラマが嫌いだった。

恋愛系のドラマが特に苦手で「あーだこーだ言ってないで早くキスでもしちゃえよ」と斜に構えて観る癖があった。

エンタメは短く衝撃的なほうがいい。

それが蛍の信念だった。


蛍は散歩にでかけることにした。

街を歩けばアイデアの種となるものが落ちていると思ったからだ。

しかし、いくら歩いても創作のネタになるようなものはなかった。


(まずい。本当に行き詰ってしまった)


いっそのこと「ショートショート作家の苦悩」というショートショートを書いてみてはどうだろう。

いまの現状をそのまま書いていったら、もしかしたら、書いているうちに面白い作品になるかもしれない。


(いや、ショートショートはオチが全てだ)


オチが決まらない状態でダラダラ書いていてもいい作品にはならない。


(それならば)


ショートショートのアイデアがでなくて悩んでいたけど、それは夢の中の自分で、実はそんなことはなかったというオチはどうだろう。


(いまどき、夢オチなんて古すぎるか)

というより、そのストーリーは全く面白くない。

作家として生きていくことがこんなに難しいとは思わなかった。

村上春樹さんはどうやってアイデアを出しているのだ。

伊坂幸太郎さんはいつ寝ているんだ。

いっそのこと4年前の会社員時代に戻りたい。

会社員だったころ、仕事に対する情熱なんてなかったけれど、こんなに悩むことなんてなかった。


(そうだ)


苦悩するショートショート作家がタイムリープして人生をやり直すというのはどうだろう。


(いまどき、タイムリープものなんて使い古されていて需要がないか)


昔はタイムリープものといえば「時をかける少女」や「バックトゥザフューチャー」くらいしかなかったように思う。

それが最近はどうだ。

「シュタインズゲート」や「僕だけがいない街」など、タイムリープものは市場に溢れてきた。

もしもタイムリープものにするなら、いままでにないようなとんでもないオチが必要だ。


(そんなオチを考えるのは無理だ)


ふと、白いクラウンが目についた。

側道にはピンクの服を着た人が歩いていて、空にはカラスが飛んでいた。


「白いクラウンとピンクの服と、それからカラス」

アイデア出しに苦しんだときは、こんな風に目に映ったものをすべて合わせてタイトルを作り、ストーリーを構築するのが有効だ。

「ジョゼと虎と魚たち」はこうやって考えられたのではないかと思っている。

この方法は時にとんでもないアイデアを生む。

だが、今回はストーリが何も思い浮かばなかった。


(いよいよ末期状態だ)


第4冊目の発行日の締め切りは近づいている。

なんでもいいから書けばいいというものではない。

今回の作品は進退がかかっているのだ。


(そうだ)


ヒット作とヒット作をつなぎ合わせて、一つの作品にしてみてはどうだろう。

あからさまな盗作は批判をされる確率が高いが、2本、3本と作品をつなぎ合わせて作ればわからないのではないだろうか。

作家としてはタブーではあるが、もう尻に火がついているんだ。


(やるしかない)


そもそも、これだけ作品が溢れている時代に完全なるオリジナルなんて存在しない。

どんな作家だって何かしらインスパイアはしているはずだ。

恥ずかしいことではない。恥ずかしいことでは。。。


(いや、だめだ)


ヒット作を掛け合わせたところで、2番煎じと言われるのがオチだ。

せっかく頑張って書いても、2番煎じだのパクりだの言われたら、それこそ作家人生は終わりだ。

あくまでオリジナルで勝負するんだ。


(それはそうと、オリジナルといえば)


クリストファーノーラン監督のインターステラーは物凄い作品だったな。

あれこそ、まごうことなきオリジナル作品だ。

6年ぶりの監督作品となったテネットも楽しみにしていたけれど、あれは奇をてらいすぎだ。

ハッキリ言って、意味がわからなかった。

ストーリーに斬新性は大事だが、奇をてらえばいいというものではない。


(それにしても、本当にアイデアがでない)


時計を見ると、散歩をはじめてから4時間が経っていた。

こんなに歩いたのは中学生の時の遠足以来だ。

とりあえず、自宅に帰ろう。



自宅に向かう途中、女性の悲鳴が聞こえた。

「たすけてーーーーー!!」


(事件だ)


これはなにかいいアイデアが浮かびそうだ。

悲鳴のするほうへ、歩を進めた。

すると、ナイフを持った男が女性を脅していた。


(だめだ)


ベタすぎる。

こんな、火曜サスペンス劇場で使い古されたストーリーでヒット作なんて生まれるわけがない。

それにこの状況は怖すぎる。

女性のことは心配だが、警察に任せることにしよう。


(ふう)


自宅についてからもアイデアは全く浮かばなかった。

夜になり、冷蔵庫をあけてビールを取り出しグラスに注ぐ。

テレビをつけると野球中継がやっていた。

昔は毎晩のようにプロ野球中継をしていたけれど、いまではすっかり野球中継もテレビではしなくなった。

野球は筋書のないドラマだと言われるが、そういった意味でいえば「巨人の星」も「メジャー」も「ダイヤのエース」はみんな筋書のあるアニメだ。

筋書があろうがなかろうが、人は熱狂する。

ようするに、フィクションだろうがノンフィクションだろうが、面白ければいいんだ。

考えてみると、大谷翔平なんかは野球アニメから出てきた主人公のようだ。

160キロを超える豪速球を投げ、1シーズンでホームランを20本打つなんて、もはや怪物だ。

現実は時に作家の想像を超える。

事実は小説より奇なりという言葉があるが、まさにその通りだ。

小説よりも面白いアイデアはどこかに落ちていないだろうか。


2本目、3本目とビールが進む。

巨人vs阪神の試合は2対2のまま延長戦に突入した。

劇的な幕切れを期待していたが、結局引き分けで試合終了となった。


(そういえば、メジャーリーグでは引き分けがないらしい)


深夜1時や2時になっても決着がつかない場合は、サスペンデッド・ゲームとなり、後日持ち越しになる。

日本にきたメジャーリーガーは、引き分けという制度があることにまず驚くそうだ。

メジャーでは引き分けがないというのは面白い。

何か、ショートショートのネタにならないだろうか。

例えば、1週間ずっと続く野球の試合があったらどうなるだろう。


(お、なんかちょっと面白い話になりそうじゃないか)


1週間といわず、1か月試合が続いたとしたらどうだ。

いや、1年ならどうだ。

いくら小説とはいえ、やりすぎか。

読者は日常のリアリティのなかに異常さを求めるものだ。

現実離れしすぎてもダメ。リアリティがありすぎていてもだめ。


(まったく、読者はワガママだ)


気づくと、時刻は深夜1時をまわっていた。

TVでは全く知らない俳優が主演をしているドラマが流れていた。

昔、「スカイハイ」という深夜ドラマがあった。

深夜ドラマなのに視聴率が高く、話題になったものだ。

スカイハイも、いまとなってはそれほど斬新なものではないが、当時としては画期的なストーリーだった。

確か、殺人されたか自殺した人の魂は以下の3つのうち、自由な道を選択できるという設定だった。

①死を受け入れ、天国に旅立つ
②死を受け入れずに霊となって現世をさまよう
③現世の人間を1人呪い殺して地獄へ行く

天国にいくより、呪い殺すストーリーのほうが観ている側からしたら面白かった。


(現世をさまようという選択をした回は1回しかなかったような気がする)


当時、釈由美子の大ファンだった私は、もはやストーリーはどうでもよく、釈由美子を見れるだけで満足したものだ。


(そういえば、釈由美子はいまなにをしているのだろう)


考えてみれば、芸能人は短命だ。

島田紳助くらい稼いだ芸能人なら引退後も金銭的な不安もなく生きていけるかもしれないが、釈由美子や成宮寛貴、清水富美加あたりはそうはいかないだろう。

芸能人は一瞬輝いて、すぐに散る花火のようだ。


(あれ?いま、俺うまいこといったかな?)


そうでもないか。

そんなことよりも、早くアイデアを考えなければ。



(はあ。なんで俺、作家なんかになったんだろ)



もともと、書くことが好きだった。

頭の中にあることを文字に起こしている時、なぜか心が落ち着いた。

プロ作家になって以来、なにかを書いていて楽しいということはなくなった。

プロになるということは楽しさを捨てることなのかもしれない。

どんなに好きなことだって、強制的にやり続けていたら好きじゃなくなる。

そういえば、大学の時の同級生が「好きなことを仕事にしてはいけない」なんて言ってたな。

そいつはパチンコが好きで、大学を卒業してパチプロになった。

年間に400万は稼ぐ凄腕だけど、好きだったパチンコが好きではなくなってしまったと言ってたっけ。

(なにごともやりすぎは良くないということか)

もし作家をやめて会社員に戻って、趣味でショートショートを書いてたら、また書くことが好きになるのかな。


(いや、もう手遅れか)


作家になれば自由が手に入ると思っていた。

しかし、待っていたのは出版社からの締め切り地獄だった。

結局、会社員のときより自由を失ってるじゃないか。

理想と現実は違う。

しかし、まさかこんなに違うとはなあ。。。


(いかんいかん。もう深夜の3時じゃないか)


考えてみれば、こうやって夜中までショートショートのアイデアを考えていて、いい案が浮かんだことなんて一度もない。

処女作の「隠れているから見たくなる」のアイデアは全て朝一番に考えたものだ。

朝のほうが何かを考えるのに向いている。

脳がクリアな状態でなければ、いいアイデアなんてでない。

特にいまは、アルコールが入っている。

アルコールが入った状態で面白いと思ったことなど、素面のときに面白いわけがない。


(とにかく、今日は寝よう)


歯磨きをして、布団に入った。

結局、今日は何のアイデアも思い浮かばなかった。


(アイデアが一生思い浮かばなかったらどうしよう)


急に不安が襲った。


新海誠さんや宮崎駿さんもこういう悩みを抱えているのかなあ。

枯渇しない資源がないように、アイデアだっていつか枯渇する。

作家というのはアイデアがなくなった時点で捨てられる。

常に面白いものを作り続けることが、作家の宿命なのだ。


少しずつ、外が明るくなってきた。

今日は寝ずに朝を迎えそうだ。


布団にうつ伏せになったままパソコンを開き、今日あったことを書き起こしてみた。

タイトルは仮で「ショートショート作家の苦悩」とした。

ショートショート作家が悩み苦しんだ日々を書き綴ったら、もしかしたらいい作品になるかもしれない。

蛍は手記を読み返して思った。


(これはこれで読み物としてはありだな)


さあ、いまからオチを考えなければならない。

苦悩の日々はまだしばらく続きそうだ。

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