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なんとなくで生きてきたツケ    

久々に鬱気味、というかザワザワする。
数年前におそらく中年クライシスであろう、気分の落ち込みや不安が続いた時があった。普段は機嫌良く過ごせたら万々歳、が軸だから、その時おいしいご飯を作って食べたり、目に見えるところを片付けて綺麗にしておけばOK。

私が逃げてきたのは
自分について掘り下げること、自分の欲に向き合うこと

実際に時間がない。時間が少し出来たとしても自分のことをしようと思うと、タイミング良く?子どもがトラブルや急な用事を連れてくる。わあわあと対応してる間に、最初の気分は消えていて結局向き合わず終い。
それが迷惑といえば迷惑なんだけど、向き合わずに済んで有り難くもある。
でも、たまにそうやってその場その場で過ごしてきたツケがやってくる。

この歳になってまで、やりたいこと探しみたいのもどうなの?いや、歳とってきたからこそ体力気力的にもすぐに手をつけた方が良いのでは?が交互にぐるぐる。

自分の出来ないことや、限界に向き合うのキツい。出来てることも本当はよく分からない。目の前のことに対応していくだけで良い方が楽なんだけど、たまにそれも全部投げ出したくなる。で、やめてどうするの?の先が分からない。こんな大人やだなーー。

欲望の形がわからない。何となくの欲求の根本がわからない。
嫌なことからできるだけ離れる。ストレスの少ない生活をする。これだけでは足りなくなってる。もっと欲を叶えてみたい。ここを掘り下げるのが日々の仕事や雑務に追われてると難しい。あと単純に向き合って苦しいのが嫌。何かしたいのか、何にもしたくないのか、、
自分の中にぼんやりとあるイメージを外に出してあげたい。でもそれが仕事や人の役にたつことに、1ミリも繋がらないことが怖い。まず子どもを独立させるところまで育てなきゃならないし。

母子だから苦労しなきゃ、大変じゃなきゃいけない呪いもいまだにある。娘には大人の方が楽しそうと思って欲しいけど。今朝ラジオで見栄の話をしていて、人は見栄のためにお金を使っていることが多々あると。私はあんまりないかも?と思った。
見栄とは少し違うけど、シングルだから苦労するべし、みたいのも人からどう見えるかを気にしているのは同じかも。いや、誰の視線を気にしているんだ。どうでも良いはず。

ああ、早く気が狂ってしまいたい。道端で大声で歌う人が羨ましい。





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