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黄金のお盆休み

 今日は祖母と叔父の初盆で母の田舎に行ってきた。

 本来のお盆からしたらまだ少し早いのだがみんなが集まれるタイミングが無くて神主さんの都合もあって今日になった。

 朝の八時に家を出て叔父の住んでいた家に行く。

 ひと月前に行ったばかりだが普段人の住んでいない家というのは湿気がこもりやすいのかムッとしたジメジメ感があった。

 ライフラインはまだ生かしてあるので居間にはエアコンがあるが神棚のある和室にはない。

 今日の参加者は従妹夫婦とその娘さんたちと叔母夫婦、私の両親と姪っ子、私、母の従妹夫婦という大人数。

 十時になったら神主さんが来られたのでお迎えをして祭詞を唱えてもらって玉串を奉納する。
 
 それからお墓に移動してそこでも同様の儀式を行う。

 今日は風がほとんどない晴天でかなり暑く帽子をかぶっていかなかったことを少し後悔した。

 じりじりと照り付ける太陽にクラクラしながら玉串を奉納して初盆の法要はつつがなく終了。

 みんなで暑かったねぇと言いながら汗をふきふきしながら神主さんをお見送りして叔父の家に戻った。

 それから少し時間は早かったが仕出し料理での会食。

 お酒好きだった叔父を偲んでビールを少しだけ頂く。

 祖母が亡くなってすぐに叔父も亡くなったので今年のお盆はさぞかし賑やかだろうねと伯父が言っていた。

 私は従妹たちと子どもの頃の昔話に花が咲いた。

 子どもの頃はお盆になると祖父の家であるこの家に一族が集まって賑やかに過ごしたものである。

 従兄弟は全員で七人いるのでそれはもう集まると騒がしかった。

 出会うのはお正月とお盆の年に二回だけなのだが会えば一瞬で距離が縮まった。

 大人からお小遣いを一人五百円ももらって歩いて三十分はかかるおもちゃ屋さんまで歩いていくのは夏の小さな冒険だった。

 冒険のリーダーは一番年上の兄であった。

 私は副リーダーの立場でまだ小さかった従妹の子が迷子にならないように後ろからついていった。

 兄は威勢よくズンズンと進んでいくのでちょっと兄ちゃん速いよ!と声をかけるのが私の役目だった。

 途中で小川があればそこで水浴びをしたり、森があったら当然虫取りに興じて何時までたってもなかなか目的地のおもちゃ屋さんには辿り着かなかった。

 とにかく田舎なので辺りの風景はほぼ田んぼなのだが、時おり吹き抜けるサワッとした風が涼を与えてくれた。

 そうやって紆余曲折を得て辿り着いた小さなおもちゃ屋さんでみんなが好きなものを選ぶのは至福の時間だった。

 お店のお婆ちゃんも私たちの事をよく覚えており、まあよく来たねぇと優しく出迎えてくれた。

 私は大抵300円のプラモ狙いだったが品ぞろえが悲しいほど少なくこれと言っためぼしいものはあまりなかった。

 なので指先で自由自在にスルスルと動くオレンジのへびのような不思議なおもちゃのモーラーや階段の上にセットして弾むように降りていく様子を楽しむ金属製のトムボーイなどを買っていたように記憶している。

 従妹の女の子たちはお人形セットなどを選んでいた。

 兄は何を買っていたのかあまり覚えていない。

 弟はファミコンのカセットの形をした消しゴムを熱心に選んでいた。

 こうして各々が納得のいく買い物をして意気揚々と帰宅するとお墓参りに行くよ~と大人から声をかけられる。

 墓地の近くの駐車場に車を停めて歩いてお墓まで向かった。

 その頃は今とは違う場所にお墓があって小高い山の中腹にお墓が群集していた。

 目指すお墓は子どもの足で歩いて十分はかかる結構な距離であった。

 無事に辿り着くとまずはお墓の周りを掃除して榊を新しいものに変える。

 それからお神酒を供えてみんなで手を合わせる。

 山の中なのでやぶ蚊がとても多くて祈っている間中に蚊がブンブン寄ってきて沢山刺されて後でカイカイとなったものである。

 お墓参りが終わるとようやくお昼ご飯である。

 お昼ご飯は一年に一度必ず流しそうめんをやってくれた。

 早朝に祖父が裏山から竹を採ってきて叔父や父が総出でそうめん流し器を拵えてくれたものだ。

 小さい子から順番に並んで祖母がそうめんを流してくれる。

 それを箸で掴むのはゲーム性があって本当に楽しかった。

 上流の方でたくさん取られてちょっぴりしか流れてこなかったら、婆ちゃん全然流れてこんよと文句を言ったものである。

 祖母はみんなで仲良く食べんさいよと言って次々にそうめんをながしてくれた。

 流す水は井戸水を使っていたのでキンキンに冷たくて午前中の遊び惚けていた疲れが吹き飛んだものである。

 もう食べられないというくらいお腹がパンパンになるまでそうめんを詰め込むとお昼寝の時間である。

 子ども達にあてがわれた六畳間で折り重なるように昼寝を貪った。

 エアコンなどなかったが網戸にして扇風機をかけるだけでそれなりに過ごすことができた。

 ウトウトとしているとああ、楽しいなぁと束の間の夢のような時間を堪能したものである。

 とまあ、そんなことがあったよねぇと従妹たちと懐かしい話を思い出して盛りあがった次第である。

 あれから四十年、田舎町は過疎化が進み叔父の近所に住んでいる人もほとんどいなくなった。

 懐かしのおもちゃ屋さんは私が中学生になる頃にはマンションになってしまったそうだ。

 変わらないものはないというが、思い出だけはいつまでも永遠に残っているものだと思いたい。

 あの夏の入道雲の下で駆けずり回った悪ガキ七人衆よ永遠に。

 

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